仕事・人生
娘が小3で白血病と脳梗塞に…激変した日常の風景 闘病を支えた母が45歳で登山ガイドとなり笑顔を取り戻したワケ
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引きこもりから、45歳で登山ガイドに

厳しい闘病生活を乗り越え、ちさとさんは小学6年生のときに長い治療を終えることができました。しかし、精神的なつらさから、家に引きこもるようになっていた美紀さん。そんなときに、何度も声をかけて外に連れ出してくれたのが、幼稚園の頃からの親友でした。重い腰を上げて訪れた場所、それが“山”。ひたすらに前を向いて足を踏み出す“山登り”をすることで、美紀さんも自然と笑顔を取り戻します。
「それからは、もう時間が空けば1週間に2回、3回も山に登るような生活でした。山の魅力がわかって、楽しくなっちゃって。そのうち『ここが私の居場所だな』と思うようになりました。自分が元気になれたのは、『人の力』と『山の力』。だから、『山にもらった恩は、山で返していきたい!』と考えて、仕事にしちゃいました」
屈託のない笑顔で笑い飛ばす美紀さん。猛勉強とトレーニングを重ねて、登山ガイドとしてスタートを切ったのは45歳のときでした。以来、多くの人々に山の魅力を伝えています。
「添乗員時代はお客さんをまとめて一緒に歩く仕事だったので、フィールドが観光地から山に変わったという感じですね。私は自然が大好きで、子どものときから母方の祖母や親と一緒に山へ山菜採りに行っていましたが、登山は大嫌いでした。それなのに、不思議ですよね(笑)」
「すごく幸せ」 孫4人を連れて山へ

山の魅力に触れたことで、人生の新たな一歩を踏み出した美紀さん。ちさとさんが高校1年生のとき、小学3年生で発症した脳梗塞が原因で高次脳機能障害と診断されたあとも、多感な時期の娘とぶつかりながらも前向きな姿勢で、優しく見守ってきました。
現在26歳のちさとさんは、シンガーソングライターとして高次脳機能障害の啓蒙活動を行いながら、結婚して3歳と1歳の2児の母として奮闘。33歳になった長男は会社経営をして、2児の父となりました。4人の祖母である美紀さんは、孫を連れて山へ行きます。孫たちはガイドの下見にも喜んでつきあってくれるようになりました。
「今こうやってちさとが生きていて、抗がん剤の影響で妊娠しづらいと聞いていたのに、母親になって、孫に会えるなんて。すごく幸せなことだなと思います。息子と娘はいつも私のことを褒めてくれて、それが生きる原動力になっています。4人のかわいい孫に恵まれて、子どもたちの病気を治してくれた病院のみなさん、支えてくれた周りの方々に、感謝の気持ちでいっぱいです」
周囲への気配りと感謝を忘れない美紀さん。始めた頃は男性が多かった登山ガイド業界も、女性ガイドが少しずつ増えています。「苦しいときに楽しい未来は想像できていなくても、たどり着いた先には何があるかわからないものですね」と力強く語ります。
登山ガイド界の“ミキティ”は“魔法の言葉”をかけながら、今日も一歩一歩、前に足を踏み出していきます。
1966年、秋田県生まれ。1989年から旅行会社で国内外の旅行業務などを行う。2012年より、登山ガイドとして北東北の山を中心に活動。冬季は主に森吉山の樹氷ガイドを行っている。避難小屋の清掃、山に関わる執筆や撮影、講演活動などにも積極的に取り組んでいる。
(Hint-Pot編集部・砂坂 美紀)