仕事・人生
「見えない障がい」を抱える26歳シンガーソングライターの願い 苦しみ続けた青春時代、音楽が生きる意味を教えてくれた
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小3のときに白血病と脳梗塞になり音楽が支えに

障害の原因となったのは、小学3年生のときに患った急性リンパ性白血病の治療で抗がん剤を使用し、その副作用により発症したと思われる脳梗塞。白血病の治療を始めて1か月後のことです。脳内にできた血栓の影響で、絶え間ない激しい頭痛と吐き気に襲われる毎日。痛みを緩和するためにモルヒネを使っているため、ぐったりと寝たきりの状態が続きました。
10歳に満たない少女を襲った、あまりにも過酷な運命……。しかしそのなかで、ちさとさんは音楽が力になったと振り返ります。
「発症後、斜視になって、すべてが二重に見える生活が続き、耳から情報を入れていました。脳梗塞が起きたときからずっと音楽を聴いていて。病気の前までピアノを習っていたこともあり、音楽がつらい闘病中の私の支えになりました」
ゆずやFUNKY MONKEY BABYS、合唱曲「ビリーヴ」などに励まされた日々。小児病棟の院内学級で同様の境遇にいた子どもたちと仲良くなり、キーボードを弾くこともあったそうです。
小さな体で闘病生活を乗り越えたちさとさんは、小学4年生で退院。小学校に通いながら治療を続け、小学6年生になる頃には寛解を迎えました。
ギターとの出合いで世界が広がった
15歳になったとき、再び音楽がちさとさんに力を与えました。周囲との関係に悩み、閉じこもりがちになっていたある日、弾き語りの動画が目に留まり、自分もギターを弾きたいという気持ちになったといいます。
ギターとの出合いも運命的なものでした。
「母親に『ギターをやりたい』と相談したら、すぐSNSにそのことを投稿してくれて。アコースティックギターを譲ってくださる人がおり、その日のうちに手にすることができました。学校近くのギター教室に通って上達すると、ライブに出る楽しさを知りました」
ときには一日10時間以上もギターを弾き続けるほどのめり込みました。ちさとさんの音楽は多くの人の耳に留まり、人前で歌う機会が増えます。歌うことが彼女の最大の表現方法になりました。
その後、高次脳機能障害と診断され、自身の経験を歌詞にして楽曲を発表すると、シンガーソングライターとして活動の場をどんどん広げていきます。障がい者施設や介護施設、病院、幼稚園などを訪問して歌を披露し、ローカルメディアにも積極的に出演。2019年には、秋田県のヘルプマークのCMにも登場しました。
「高次脳機能障害を含む見えない障害の認知度は低くて、私以外にも実際に困っている人は多くいらっしゃいます。そこで、自分の歌を通じて知ってもらう人を増やしていこうと考えました。『こんなことに困っています』『こんな手助けが必要』など、お互いに生きやすい世の中になればいいと思っています」