インタビュー

小学2年で気が付いた「自分がゲイということ」 LGBT公表とその後 同性婚した弁護士が語る

著者:中野 裕子

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公私ともに大切なパートナーとなっている南さんと吉田さん【写真提供:南和行さん】
公私ともに大切なパートナーとなっている南さんと吉田さん【写真提供:南和行さん】

父の死がきっかけ 大学4年で家族に伝える

 僕は小学校2年生の頃には自分はゲイではないかと気付いて、そんな自分を受け入れることができるまでには時間がかかりました。大学生になって、ゲイの友達ができてからですね。でも、異性愛が前提の社会の中では、自分は“社会の真ん中を歩けない人間なんだ”と将来についても悲観していました。

 家族には僕が大学4年のときに伝えました。父の死がきっかけです。父は僕がゲイだと知っても、そのことを僕自身が受け入れ友達もできて幸せにしていれば、きっと受け入れてくれたはずだ、と思って、言わなかったことを後悔したんです。それで、母と兄に伝えました。最初はものすごく葛藤があり母は泣き崩れましたけど、今は受け入れてくれて、僕とパートナーが共同経営する事務所を手伝ってくれています。僕の場合は父が弁護士だったので、僕がパートナーの影響で弁護士になったことも、母には好印象を与えたのかもしれません。

 本当の自分を隠して生き続けるのって、しんどいんです。異性愛が前提の中で生きていると、コンパに誘われたり、下ネタ話をふられたりするので困るわけです。公表していないと、常に自分を偽って二重生活をしないといけない。孤独なんです。結婚しろ、というプレッシャーを受け続けなければいけないですし。でも、心の中では「結婚できるわけない」と思っていましたから。これって、想像以上にしんどいんですよ。

 そんな思いで大学院に通っていた時、今のパートナーと出会い将来をともに生きる人ができた。パートナーともっと人生を共有したくて、パートナーが目指していた弁護士を僕も目指して、弁護士になって、仕事でも支え合うことができるようになった。不愉快な思いをすることはあっても、僕自身の幸せ感の方がずっと大きいですね。

みんなとは違うんだという距離感は拭えずにいた頃もあった

 僕の場合は都会に住む男性であり、組織に属さず独立して仕事をしているので、特殊だと思います。地方だと周りの目は都会より厳しいでしょうし、弱い立場とされる女性の同性愛者や無職の人だと、堂々と公表すると攻撃されるかもしれません。仕事を持っていても、組織に属する一般の会社員の人だったら、公表は簡単じゃないと思います。それも、僕が弁護士になろうと思った理由の1つです。

 弁護士になる前、僕は一般の会社に1年間勤めていました。当時はゲイであることは内緒。会社には私生活を詮索して「カノジョ、いないのか?」と聞いたり、同性愛をネタにした冗談を言ったりする人はいなかったのですが、ゲイと言ったら関係が壊れるんじゃないかという不安がありました。親しくなってもゲイであることを言えない辛さ、“みんなとは違うんだ”という距離感は拭えませんでした。退社後、パートナーと挙式して、前の会社の人たちにも公表したら、みんな優しく受け入れてくれて、今思えば、僕が自意識過剰だったのかな、世の中に壁があるのは事実だけど僕も壁を高くしすぎていたのかな、とも思います。

 LGBTとして、弁護士以外の執筆活動や講演の仕事、最近では映画の監修などもしているのですが、その中で、いくら説明しても理解してもらえず、やるせない思いをすることはあります。市民講座の講演に行ったとき、真剣な顔で僕の話を聞いてくれていた人に、僕が話を終えた後、「なぜ公表したのか。ワシだったら恥ずかしい」「あなたのお母さんは笑ってないよ」と面と向かって言われました。え、とその時もショックを受けましたけど、周りは「何でそんなことを言うんだ」という雰囲気でした。そういう雰囲気にも救われてきましたね。

◇南和行(みなみ・かずゆき)
1976年10月12日、大阪市生まれ。京都大学農学部、同大学院修士課程卒業後、住宅建材メーカー勤務を経て大阪市立大学法科大学院へ。2008年、司法試験合格。2011年、パートナーの吉田昌史弁護士と挙式。2013年、吉田さんと“夫夫”で「なんもり法律事務所」開設。2015年、「同性婚~私たち弁護士夫夫です」(祥伝社)出版。LGBTに関する講演やテレビ出演なども行っている。2020年1月24日公開の映画「his」の監修を務めた。

(中野 裕子)