インタビュー

【私の家族】「純烈」白川裕二郎 15年間一緒の元保護猫が“下積み時代”を支えてくれた 「癒されてきたおかげで紅白に」

著者:中野 裕子

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白川さんと元保護猫の「みかん」ちゃん【写真提供:ジースター・プロ】
白川さんと元保護猫の「みかん」ちゃん【写真提供:ジースター・プロ】

子どもの頃、寂しさを紛らわせてくれたのも猫ちゃんたち

 動物は元々すごく好きで、子どもの頃から黒猫2匹、白猫1匹、シャム柄の猫1匹、長毛の猫1匹を飼っていました。飼っていたと言っても、当時は家猫じゃなくて家と外を自由に行き来させながら、でしたけどね。みんな元々は野良猫で、僕に懐いてうちへ通うようになった感じ。たぶん、僕はすごく寂しかったんだと思います。小さい頃は家に1人でいることが多かったから。

 僕は両親と姉の4人家族に生まれ育ったんですけど、親父は小さな会社をやっていて、母ちゃんは小学校の先生だからいつも忙しかったんです。姉ちゃんは7歳上で年が離れていたから、僕が生まれた時にはもう小学生。家族4人が揃うことは少なくて、4人で食卓を囲んだ記憶も少ない。だから、揃って食べた時はすごくうれしかったなぁ。1人で食べることもよくあって、小学3年生の時には自分で米を炊き、中学の頃にはチャーハンとかみそ汁とか、簡単なものを作るようになりました。弁当も自分で作っていたんですよ。

 運動会はちょっときつかった。家族が誰も見に来られないから、1人でポツンと弁当を食べたり、かわいそうに思ってくれた友達の家族が声をかけてくれたり。あ、でも親父が1回だけ、弁当を作って持ってきてくれたなあ。小学6年の時。でも、その時、おやじはすでに肺がんを発症していて、苦しそうに息をハーハー言わせていました。その後間もなくして、亡くなってしまいました。

 そんな僕の寂しさを紛らわせてくれたのが、猫たちだったのだと思います。でも、5匹のうち3匹は交通事故で亡くなってしまったんです。そのうちの1匹は、中3の卒業式間近、式の練習をしていた時、友達に「白ちゃんチの猫が……」と聞かされて、そのまま学校を飛び出して雨の中、駆け付けました。うちの近くの道路だったから、たぶん、うちに帰ろうとしたんでしょうね。あの時は悲しかったなあ。

 寂しい子ども時代でしたけど、両親も姉ちゃんも、僕をかわいがってくれたんですよ! 一緒に買い物したり、猫を一緒にかわいがってくれたり。親父が死んじゃった時は、母ちゃんがずっと泣いていたのを覚えています。生前はよく取っ組み合いのケンカをしていたのに。それだけ情も厚かったんでしょうね。母ちゃんはその後、再婚せず、女手一つで僕ら子ども2人を育て上げてくれました。その背中を見ていたから、反抗期はありましたけど、グレることはなかったですね。

◇白川裕二郎(しらかわ・ゆうじろう)
1976年12月11日、横浜市港北区生まれ。神奈川県立新栄高校卒業後、スカウトされ大相撲・朝日山部屋入門。1995年、初土俵を踏んだが、ケガで翌年引退。22歳の時、「劇団俳優座」入り。2002年、特撮ドラマ「忍風戦隊ハリケンジャー」(テレビ朝日)で俳優デビュー。2007年、「純烈」を結成してリードボーカルに。スーパー銭湯を中心に活動し、2010年にシングル「涙の銀座線」(ユニバーサルミュージック)でメジャーデビュー。2018年、「プロポーズ」(日本クラウン)でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。

(中野 裕子)