恋愛・夫婦

樹木希林さんが貫いた夫婦の絆 私たちはなぜハチャメチャ夫婦に共感するのか

著者:おおたとしまさ

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「老いてから別れるのはもったいないわよ」

 1981年には裕也さんが一方的に離婚届を提出し、ハワイに逃亡した。離婚の無効を訴える樹木さんに対し、裁判官が「あんなに嫌がっているんだから、別れてあげなさいよ」という場面もあったという。まるでコントだ。訴訟当時の映像に映る三つ編み姿の樹木さんは、裕也さんへの猛烈な怒りと執着ともいえるほどの情愛をあらわにしている。晩年の菩薩のような雰囲気からは想像もつかない。

 世代的に、私は彼らのドロドロを、リアルタイムには認知していない。風にたなびくごとし金髪でステッキを振り回す裕也さんの姿を、まるで“お釈迦様”の掌の上を、如意棒(にょいぼう)片手に筋斗雲(きんとうん)で疾走する“孫悟空”のように見ていた。

 しかし遺族の言葉、そして晩年の樹木さん自身の言葉を紐解くと、少なくとも当時の樹木さんの心中は、悟りの境地どころではなかったようだ。あきらめとも違う。「裕也さんの妻」という立場を裁判で勝ち取るが、実際のところ長年に渡る別居生活は、裕也さんへの「恨み」とともに生きる日々だったようなのである。

「このまま裕也さんを恨んで死ぬのは悪いなと思って、ほったらかしにしていたことを謝ろうと思ったの」

 2009年、樹木さんは、産経新聞のインタビューにそう答えている。きっかけは2004年に発症した乳癌だった。「納得のいく死*」を意識して、はじめて「内田裕也さんと向き合おう*」と決意したわけだ。それから月に一度は会って話をするようになり、「長い夫婦の戦い*」が終わった。

 2008年、2人で京都を訪れたときには、腕を握って歩いた。毎年正月にハワイを訪れ、手をつないで歩くようになった。

 よそ様の夫婦のスキンシップを想像するほど悪趣味なことはない。しかし想像してしまう。30年もの時を経て再び握る夫の腕の感触、お互いの手のぬくもり。2人がどれほどときめいたことか。初めて肌を合わせたとき以上の緊張と感激があったのではないか。空白の期間は、その瞬間のための、壮大なる伏線だったというわけか。

「癌に感謝している」と、晩年樹木さんはよく口にした。

 結婚しただけでは仮免許。夫婦は時間をかけて少しずつ本当の夫婦になっていく。夫婦関係に悩むひとに、私はよくそう話す。樹木さんと裕也さんも、その原則にもれてはいない。樹木さんも「熟年離婚なんて言葉も浸透してきちゃったけど、老いてから別れるのはもったいないわよ*」と言う。しかし時間のかけ方が、極端すぎる。「良い子は絶対にまねをしないでください」的案件だ。