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受験の不合格をどう受け止めるべきか 勝ち負け以上の価値に気づく
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大切なのは「ままならない状況」の中を歩み続ける力
目の前に、AとBとC、3つの道があるとする。どちらの道を行くべきか、できる限りの情報を集め、さまざまな観点から比較検討し、決断する。しかし、決断の良し悪しは、集めた情報量や情報分析力では決まらない。
Aを選ぶにしても、Bを選ぶにしても、Cを選ぶにしても、その選択が良かったのかどうかは、事後的にしかわからない。決断の良し悪しは、決断したときに決まるのではなく、決断したあとに、その決断を良かったものにするためにどれだけ努力をしたかで決まるのだ。
受験において、Aが第一志望、Bが第二志望、Cが第三志望だったとする。仮にAで不合格をもらいBに進むことになったとしても、そこで得られた環境と時間を最大限に活用すれば、Aに進んでいたよりも良い選択をしたことになる。もしかしたらCに進んでいれば、もっと大きな何かを得ていたかもしれない。
目標を達成できないこと自体は悔しい。でも、受験の結果が100%の望み通りにならなかったひとたちには次のように伝えたい。
大切なのは、いつまでも無い物ねだりをするのでなく、そこでしか得られなかった偶発性に気付き、それを最大限に活用することである。恩師との出会いかもしれないし、一生の友かもしれないし、人生を変えるたった1冊の本との出会いかもしれない。偶発性を活かせるかどうか。それこそが人生の価値を決める。
逆に、望み通りの結果を得られたひとたちには次のように警告したい。
いわゆる「いい学校」に行くことは「選択肢を増やすこと」ともいわれるが、そこに大きな落とし穴がある。たとえば「努力して東大にまで入ったのだから、あんな仕事はできない」というような呪縛である。
選択肢を増やすために努力をするという発想の帰結として、努力することによって増えた選択肢の中から選ばないと努力した意味がなくなってしまうと思ってしまい、実は自分の選択肢を狭めてしまうことがあるのだ。そんな人生は窮屈だ。
死力を尽くして手を伸ばしたのに、するっと指の間からこぼれ落ちるものが、人生にはときどきある。空虚な手のひらを、しばらく呆然と眺めるだろう。でもいつか、その空虚にすら、意味を見出すことができる。それが人生。
信じたくない現実を前にしばし我を失う時間があってもいい。いや、そういう時間があったほうがいい。そこからむくりと顔を上げ、胸を張り、堂々と新しい一歩を踏み出せれば、ひとはそのとき大きく成長する。テストの点で1点およばなかったこととは比べものにならないほどのたくましさを身に付けることができる。それがその後の人生を支えてくれる。
正解のない時代、予測不能な時代、変化の早い時代……。これからの時代に生きるひとたちに必要なのは、「ままならない状況」をたくましく歩み続ける力である。受験の結果がままならないものだったとしたら、その状況こそを自分のたくましさに変えてほしいと私は思う。
受験は合否の結果で一旦終わる。しかしその後に残る「ほろ苦さ」までをも含めて自分の糧にできたときようやく、単なる受験勉強が人生の学びに昇華するのである。
※関連書籍 おおたとしまさ著 中学受験「必笑法」(中公新書ラクレ、820円税別)中学受験に「必勝法」はないが、「必笑法」ならある。合否の結果に関係なく、何が何でも中学受験を家族にとっての成功体験にするための発想法。
(おおたとしまさ)