インタビュー

“お寺の娘さん”が芸術の世界に飛び込むまで 東京五輪前にじわり人気のアートのお仕事

著者:Hint-Pot編集部

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アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画プログラムオフィサーの嘉原妙さん【写真:Hint-Pot編集部】
アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画プログラムオフィサーの嘉原妙さん【写真:Hint-Pot編集部】

作家、地域、企画者に寄り添うアートマネジメント

 今、全国でじわりと盛り上がりを見せている「アートプロジェクト」という言葉は知っているだろうか? ひと言で定義するのは難しいが、言ってみれば美術館やギャラリーなどに完成作品を展示して見せるといった“枠”にはとらわれない、新しいアートの表現の仕方と楽しみ方だ。たとえば、地方自治体とタッグを組み、完成品だけでなく制作過程から来場者に見せたりと、場所や展示方法は実にさまざま。東京でも2020年の五輪・パラリンピックに向けてより活発化している。そんな新しいムーブメントの陰の立役者・アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)で、東京アートポイント計画のプログラムオフィサーを務める、嘉原妙さんに話を聞いた。1回目は、アート業界を志したきっかけについて。

24時間美術漬け 将来の夢も見つかり楽しかった大学時代

 嘉原さんは現在、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)に所属。東京都のアートプロジェクトを取り扱う、東京アートポイント計画のプログラムオフィサーを務める。プログラムオフィサーは、企画・運営をする団体と行政との仲立ちをする「アートマネジメント」と呼ばれる仕事のなかのひとつだ。

 アートというものに興味を持ったきっかけとなったのは、高校時代に学んだ美術史。

 高校卒業後、京都造形大学・芸術表現アートプロデュース学科に入学。その当時は、専攻として珍しかったアートマネジメントを学ぶこととなり、「絶対にこの仕事に就きたい」と心に誓ったという。

「大学4年間は本当に楽しく、あっという間でした。課外活動を積極的に行い、インディペンデントキュレーター(無所属で展覧会を企画運営)、美術批評家、編集者、美術史家など、さまざまな職業の人に出会えたことも自分にとって財産になりました」

 嘉原さんが大学院に進もうと思ったのは、課外活動のなかで外側から芸術について考えることが増え、いかに自分の視野が狭いのかを知ったからだという。

「社会に軸足を置いて、アートがなぜ必要なのか考えないといけないと思いました。そこで、大阪市立大学大学院創造都市研究科へ進学することを決めたんです」

実家はお寺 厳しいながらもやりたいことを応援してくれる家族がいた

 そもそも子供時代から、アートに囲まれた環境だったかというとそうではない。

 兵庫県の宝塚市で誕生し、淡路島の片田舎で育ったという嘉原さん。実家はお寺だったため、子どもの頃から客が頻繁に出入りをし、家から一歩出ると『お寺さんの娘さん』と看板を背負って歩いているような感覚だったそうだ。地域の人々に囲まれて、厳しく躾けられてきたという。

 そんな嘉原さんの実家ならではのエピソードがある。それは、嘉原さん自身も忘れられない、小学校6年生のときの出来事だ。

 親の仕事の都合で転校を繰り返してきたという友人が、卒業まであと1年というところでまた家族で引っ越しをすることとなったが断固拒否。彼女と仲の良かった嘉原さんは、母にどうにかできないか相談したそうだ。すると嘉原さんの母や家族は、『そういうことなら、うちに1年間いればいいんじゃない?』と言い、友人の両親と話し合い。友人が居候することになったという。

「卒業まで私の部屋を間借りしていました。友達と24時間一緒にいるのが楽しかったので、当時は違和感もなく過ごしていましたが、いま思い出すとすごく珍しいことでした。とてもいい思い出です。そう思うと、両親から私のやりたいことを否定されたことはなかったです」