仕事・人生
“お寺の娘さん”が芸術の世界に飛び込むまで 東京五輪前にじわり人気のアートのお仕事
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アートは“社会と繋がる窓” 進路決定のきっかけとなった美術史の授業
中学生の頃から高校2年生になる頃までは、嘉原さんのなかに美術系にいくという選択肢は全くなかったという。
「実家にあった祖母の足ふみミシンの音がとても大好きで、服飾系の仕事がしたいと思っていました。それには、専門学校に行くのが一番いいのかなぁと漠然と考えていましたね」
しかし、意外にも嘉原さんの人生を決定づけたのは、高校2年生の後半で学んだ美術史だった。もともと実家には多趣味だったという曽祖父が残した古い図版や、西洋美術が好きだった母が集めた画集などがたくさんあり、幼いころからそれらをめくるのが好きだったのだそうだ。授業中、自分が知っている絵画がたくさん登場し、ただ眺めていたときとは全く違う見方ができることに衝撃を受けたのだという。
「それまでは、美術という異次元の世界があると思っていたのですが、古代から20世紀前半までの代表的なアーティストやスタイル、時代背景を聞いていくと、作家が表現するものが“社会と繋がる窓”のように見えたんです。そして、自分と社会という接点が、作品のなかにあるなら勉強してみたいと思いました」
自由であるからこその苦しみ 悩み続きの修士時代
しかし、大学院に進学をした嘉原さんは大きな壁にぶつかった。それまで、楽しくてしかたがなかったアートマネジメントの勉強が、すごく苦しく、大変苦労をしたという。
「修士課程での苦戦は、当時は辛かったですがのちのちとても大きな意味がありました。大学生のときは教員の方々が擁してくださった枠組みのなかで、自由に活動することができましたが、修士では研究テーマや構造から、すべて自分で決めなきゃいけません。自由だからこそのとっかかりが見つからず、とても苦しみましたね」
アートプロジェクトの研究はしたいけど、どう掘り下げていくべきなのか、答えが見つからずしんどい期間が続いたという。しかし、修士論文の提出が差し迫った修士二年生の冬。たまたま、その後就職することになるNPO法人BEPPU PROJECTの代表に出会った。
「研究テーマが見つからず悩んでいたときは、とにかく人に会うということはしていました。学生だったので、時間はありました。可能な範囲で芸術祭などに足を運び、行った先でお会いした方に話しかけてみるということを繰り返していました。
忘れられない恩師からのアドバイス 修士論文を完成させるまで
そして、BEPPU PROJECTを研究テーマに、卒業期間を延ばしてでもしっかりと論文を書きたいと考えた嘉原さん。しかし、当時の指導教員はその選択を簡単には認めてくれなかった。
「とても穏やかで自由にさせてくれる先生だったのですが、『やりたいことはわかったから、とにかく期限までにやれるところまでやってごらん』と、簡単に留年を許してはくださいませんでした。社会人になれば仕事にデッドラインはつきもの。限られた時間でどこまで自分の考えを整理できるか、間に合うように最大限努力するよう先生に教えていただいたのは、とても大きな意義がありました。
結局、半年卒業を伸ばして研究をつづけたのですが、きっとあのときそれを教えてもらえなかったら、中途半端になっていた気がします」
一見、普段の生活とは程遠く、とても狭く見える美術の世界。しかし、美術史を通して、実は美術と社会は深いつながりがあること、そして美術を日常のなかに根付かせる仕事があることを知った嘉原さん。次回は、就職するまでの過程や、仕事を円滑に進めるコツを聞く。
(Hint-Pot編集部)