仕事・人生
38歳で渡米 ハリウッドで成功した日本女性が持つ“シフト力”とは
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38歳で単身渡米 押元さんがハリウッドで衣装デザイナーとして活躍するまで
映画の本場、ハリウッドで衣装デザイナーとして活躍する押元須上子(すえこ)さん。アメリカでの衣装デザイナーという仕事は、日本でイメージするそれとは全く異なる。登場人物の衣装すべてをプロデュースすることが役割。俳優それぞれの衣装のデザインから素材の選択、縫製の指示、フィッティング、撮影時の立会いまでをこなす。丁寧な仕事ぶりにハリウッド俳優から絶大な信頼を得て、オファーが絶えない。
38歳のときに日本での生活を捨て単身渡米。沖縄で10人兄弟の末っ子として生まれた押元さんが、なぜ渡米し、どのようにハリウッドで注目される衣装デザイナーとなったのか。インタビュー1回目は、およそ20年前の渡米から衣装デザイナーになるまで。異国の地で道を切り開いた押元さんの原動力。そこには物事を前向きに変換して挑戦する“シフト力”があった。
「チャレンジしたい気持ち」が後押し 日本での生活を捨て単身ラスベガスへ
押元さんは10人兄弟の末っ子。着物が好きだった姉たちの影響で服飾に興味を持ち、高校では服飾クラスに進学、美容も学んだ。卒業後は着付講師、エステサロンオーナー、スタイリストとして活躍する傍ら、建築、華道なども学ぶ。顧客も多く仕事は順調だったが、38歳ですべてを捨て単身ラスベガスに渡米した。
「このまま日本にいても将来がない。このままいつもの暮らしを続けるのか、チャレンジするのか。チャレンジしてみてだめなら戻って来ようと思いました。思いたった時が今。その時が今だと思いました。やりたいと思ってもチャレンジできなかったら、それはできない時ということ。思ったときにチャレンジできれば、結果はつながってきます」
押元さんが高い評価を受けているのは、スタイリングの中でも特に色使いだ。「日本人があまり使わない色を大胆に使用する」と言われることが多いそうだ。故郷沖縄の白い雲やエメラルドグリーンの海、鮮やかな花々の色に触れて育ったことに加え、「新しいことにチャレンジする気持ちが、他にはない色使いにつながっている」と話す。押元さんが日本での生活を捨て、38歳で単身ラスベガスに渡ったのも、“チャレンジの気持ち”だった。