カルチャー
日本の伝統的な仕事着にフランス人が感動 街の洋品店で発見したものとは 「デザインが素敵!」
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品質が高く、機能性に優れたものがさまざまある日本。日本人には当たり前のものでも、訪日外国人観光客の目を通すと、驚きや感動があふれています。外国人観光客を日本各地へガイドする、通訳案内士の豊嶋操さんよる連載「ニッポン道中膝栗毛」。今回は、昔ながらの商店街で見つけた日本の衣料品に、フランス人グループが魅了されたお話です。
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昔ながらの商店街で洋品店を発見すると…
街路樹が青々と生い茂り、過ごしやすい気候になりました。この時期、週末に神社を訪れると神前結婚式が執り行われていることが多く、それを目にした訪日外国人観光客のみなさんが、着物や履き物などに視線を注ぐことがしばしばあります。
このように、日本の衣服に対して興味をそそられる訪日外国人は少なくありません。あるフランス人グループの東京観光をサポートしていたときのこと。2日目に「日常の暮らしを見せてほしい」とのリクエストがありました。
そこで都内の商店街を歩いていると、グループのひとりの女性から「ちょっとここに寄りたいんだけど」とお願いが。そこは、いわゆる街の洋品店です。
全員がいそいそと入っていくと、壁一面に陳列棚が並んでいます。もちろんその上にあるのは、下着類やパジャマ、婦人物の衣類といった、日本人にはおなじみのものばかり。
「デザインが素敵!」 着物の上から着られる割烹着に感動
先陣を切って入店した彼女の目を引きつけたのは割烹着でした。よくよく話を聞くと、前日に夕食を取った和食店のカウンター内で、女性店員が割烹着で料理をしていた姿を見て、とても気になっていたとのこと。
「もちろんスモックは知っているけれど、着物の上に着られるエプロンは初めて見たわ。簡単に脱ぎ着できそうだし、ゆったりした袖と四角い襟ぐりのデザインが素敵!」
確かに、私も小学校の調理実習で着たような記憶がありますが、そこに目をつけるのかと気づかされました。
割烹前掛けとも呼ばれる、この“ジャパニーズエプロン”の誕生には諸説ありますが、1882(明治15)年まで遡ります。当時、東京・日本橋に設立された日本で最初の料理学校、赤堀割烹教場(現・赤堀料理学園)には、料理修行に励むお嬢様方が晴れ着で集っていました。そんな生徒の着物が調理中、汚れることがないように考案されたといわれています。
そして、同校の先生が女子大学でも教鞭を執る機会が増えるにつれ、「これは優れもの!」と徐々に広まっていきました。明治時代も半ばを過ぎると、女医学校での手術時や薬学部での実験時、また髪結い業の作業着といったように、衛生面が重視される場面でも用いられていたようです。
白が基本なのは、このような背景があるからなのでしょうか。今着てみると、着物があったからこそ生まれた割烹着に、その良さを改めて感じます。