カルチャー
「友達が作り方を教えてくれて…」 ブルガリア出身女性が日本人の優しさに感動 「自分で作れる」ようになった日本食とは
公開日: / 更新日:

海外での生活は、その地域ならではの食文化に慣れるのに時間がかかることもあるでしょう。ただ、料理を介して、人との距離が縮まる場合もあるようです。1990年代に日本で6年間を過ごしたという、ブルガリア出身の女性は当時、料理があまり得意ではなかったそう。そんななか、周囲の温かいサポートを受けて、さまざまなものを作れるようになりました。長年経った今も作るという日本食とは、どのようなものなのでしょうか。
◇ ◇ ◇
夫と過ごした、日本での6年間
画家として活動している、ブルガリア出身のシルビア・ヴァシレヴァさん。現在はアメリカのサンディエゴで暮らしていますが、夫の仕事の関係で、1990年から1996年まで日本に住んでいた経験があります。
大阪に2年間、滞在したあとに東京へ。さらに仙台へ移り、合わせて6年間を過ごしました。日本での生活のなかで、シルビアさんは日本語を理解し、片言で話せるほどに上達したそうです。
「日本で子どもを育てて、多くの言葉を学びました。日本人の子どもたちや、子どもたちのお母さんたちともよく話をしたから。日本語でお話しできることは、喜びです」
地域の人々との交流を通じて、日本語だけでなく、日本の文化や生活習慣も自然と身についていきました。
友人が教えてくれた、和食の作り方
そんなシルビアさんは、今も日本食を作ることがあるそう。ある日の食卓には、数種類の具材が入った色鮮やかな海苔巻きやたこ焼き、枝豆などが並びました。日本を懐かしむ気持ちが伝わってくる、温かなメニューです。
「実は、若い頃はあまり料理が得意ではなかったんです。日本で暮らしているときに友達が作り方を教えてくれて、お寿司や春雨サラダなどを一緒に作りました。一番好きなのはお好み焼きで、自分で作れます」
得意ではなかった料理も、友人たちの優しいサポートのおかげで、少しずつ自信を持って作れるようになっていったのです。
異国の地で暮らすなか、言葉や文化の壁を越えて、手を差し伸べてくれた友人たち。その温かさは、30年近く経った今も、シルビアさんの心に残り続けています。
(Hint-Pot編集部)
