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2児の母、22の資格ホルダーに 元ショートトラック・スピードスケート五輪代表の勅使川原郁恵さんの今

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・井上 千春

勅使川原さんは19歳で長野五輪に出場【写真:Getty Images】
勅使川原さんは19歳で長野五輪に出場【写真:Getty Images】

「郁恵は雑草だ」 トップ選手だった現役時代に励みとなった父の言葉

 そもそも、ショートトラックの選手だった学生時代は、学校の授業が終わったら、夜遅くまで練習することが日課だった。

「練習でへとへとになって家に帰ってきて、ご飯食べて、それから勉強しようと思っても全然はかどらないことは、子どもの頃から体感していました。学校の勉強は早起きして朝にやっていました。疲れたら勉強よりもまず寝る。思えば、休息の大切さは選手の時から身についていましたね」

 3歳でスケートを始めた勅使川原さん。親の存在がとても大きかったと言います。

「基本的に両親からは、スケートに関して、こうしろ、ああしろなどと言われたことはないです。でも、両親の存在は大きかったです。母からは『ひとつのことはちゃんとやり通しなさい』ということは言われましたが、いつも『ごはんは何が良い?』と温かく見守ってくれました。父からは『郁恵は雑草だ』と言われ続けたのをよく覚えています。きれいな花はポキッと折れて終わるけれど、雑草は踏まれても踏まれても元気よく立ち上がるし、生命力がある。私は雑草だと思うと、前向きになれました」

「私は雑草」――14歳で全日本選手権で優勝して、ショートトラック界のトップの座に立った後も思っていた?

「むしろトップに立ってから、その言葉は励みになりました。トップとか第一人者とか注目される立場になると、2位とか3位では周囲に認めてもらえないんですよね。注目される分、苦しい思いや嫌な思いをする部分もありました。でも、『そうだ、私は雑草なんだ、踏まれても踏まれても元気よく、前向きに生きるんだ』ということに気付き、すごく気持ちが楽になったのを覚えていますよ」

 たった中学2年生の女の子が、年上の選手たちを次々と負かして「日本ショートトラック界の女王」として注目。もしかしたら、そこで満足して終わってしまうこともあるかもしれない。“雑草魂”で、つねに「挑戦者」として向上心を持ち続けたのは、長きにわたり第一線で活躍した勅使川原さんの強みのひとつだろう。

「引退した今もイベントのウォーキングなどで、たまたま道端に雑草が生えているのを見ると、思い出しますよ。あー、こんなところに生えていて頑張っているんだーって、私も頑張るぞーって(笑)。もちろん“雑草”の気持ちは持ち続けています」