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日本の便利で美しい包装技術はすごい 英国移住した日本人女性が気づいたこと

公開日:  /  更新日:

著者:Moyo

簡素なパッケージ入りお菓子は、帰国時に持ち帰ったときは割れていないかヒヤヒヤ【写真:Moyo】
簡素なパッケージ入りお菓子は、帰国時に持ち帰ったときは割れていないかヒヤヒヤ【写真:Moyo】

「どこからでも切れます」――ハサミを使わなくても簡単きれいに開けることができる商品パッケージ。そして、美しい包装紙で丁寧に包まれたお菓子など、日本では当たり前のことですが、海外の人から見ると驚くべきことのようです。ひょんなことから英国に移住、就職し、海外在住歴7年を超えたMoyoさんが、外国暮らしのリアルを綴るこの連載。第17回は、思いやりが追求された日本のパッケージ技術についてです。

 ◇ ◇ ◇

日本の包装パッケージ技術はすごすぎる

 前回は、英国のスーパーマーケットに並ぶ商品には変化がないことを指摘してみました。しかし、実はもっと気になっていたことがあります。

 それは使い勝手が悪すぎるパッケージを採用した製品が多いこと。何年も改良がなされていないのでは、と言うしかないほど使いにくく、開けにくい、そして開け方のわかりにくい商品がなんと多いことか。

 簡単なサンドイッチをひとつ開けるにも、どこから開けたらいいのかまったくわからず苦戦したことも。馬鹿力でなんとか開いた、と思ったら、底のわかりにくい部分に開け方が書かれていた、なんていうこともありました。

 また商品の大きさに対して、かなりぴっちりしたサイズ感のパッケージが多いため、開けた瞬間商品が破損してしまったり、出てきてしまったり、中のパッケージに具材がこびりついていて取れないことも。

 対して、日本の商品は「ここから開けてください」、「ここまで引っ張ってください」など、懇切丁寧に、いろんな記号や注意書きがありとあらゆるところに書かれていますよね。パッケージのサイズ感もキツすぎず、かといってゆとりがありすぎず、スムーズに開けることができパーフェクト。

 間違えようがないように見えるものでも詳細な注意書きを見かけたことがあり、逆に本当にここまで言わないといけないのか? と思うこともあるほどですが。

 また、持ち運びに便利かつ、湿気るのも防いでくれる保存に便利なジッパーが付いているものなども多いと思います。

 日本の多くの商品に共通しているのは、誰もが使いやすく、商品が決してダメージを受けることのないように、という企業側のたゆまない努力と配慮でしょうか。

 現在住んでいるフランスでも、パッケージの開けにくさを疑問に思うお菓子などに巡り会うことがよくあります。フランス人に「これを開けにくいと感じないの?」と聞いたところ、友人は子どもの頃から同じパッケージなので(細かい部分は変わっていると思いますが)、とくに疑問にも思わないそうです。

 もう20年以上(かそれ以上!)も同じスタイルを貫いているんだ、と逆に尊敬します。

 ちょっと行きすぎている日本と、少しアバウトな英国やフランス、足してちょうど2で割るといいのにな、とよく感じるポイントです。

美しすぎる包装に唖然とされる

フィンランドでも、パッケージの見た目はかわいいけれど脆いお菓子の数々を発見【写真:Moyo】
フィンランドでも、パッケージの見た目はかわいいけれど脆いお菓子の数々を発見【写真:Moyo】

 また、帰国時には、日本のお菓子をお土産として買っていくのですが、友人たちから毎回、絶対に驚かれるのが、厳重できれいな包装です。

 たとえば「ヨックモック」のシガール(缶タイプの場合)。まず、きれいにはがしやすいよう完璧に留められた表の包装紙を取ると、缶の上からさらに厚紙が巻かれています。それを外したら、今度は缶の口部分に貼られているテープをぐるぐると剥がさなくてはなりません。

 ようやく缶が開いたと思ったら、今度は中に含まれている何重もの緩衝材が顔を出します。その緩衝材をめくって、ようやくお菓子にありつけると期待したのも束の間、今度は製品説明のカード。それを丁重に読んで、ようやくお菓子へ。

 その玉手箱のような厳重さと包装紙の美しさに、ちょうだいと言って持ち帰った友人もいました。

 また、シガールとは別のお菓子を渡した友人には、個包装のパッケージ自体がアートのようだと言って、しばらく開けずに大事に取っていたそう。こちらでは個包装があまり一般的ではないので、それだけでも感動したようです。

 一方で、きれいなのは確かだけど、過剰包装では? とシンプルに疑問を持ちかけてくれた友人も。自分は当たり前だと思っていた世界から、日本の特異性を改めて考えるきっかけになった出来事でした。ちなみに、彼女は決して悪気があるわけではありません。

 日本でも過剰包装についてはこれまでもたびたび議論され、少しずつ状況が変わってきていると思います。一歩外に出ていろんな国の標準に慣れ親むと、日本のすごさを改めて感じると同時に、意外ともっとシンプルでも困らない、と気づくことも。

 自分の当たり前が当たり前でなくなり、些細なことから自分の判断と選択が問われ、自分の行動を顧みるチャンスがあちこちに落ちています。ぜひ皆さんも、いろんな人や場所に触れて、客観的な視点を得てみてください。

(Moyo)