仕事・人生
作家・赤川次郎さん 漫画家を目指した幼少時代 生涯出版は600冊以上も「書けるうちは書き続ける」
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薬師丸ひろ子さんが主演した角川映画「セーラー服と機関銃」や「探偵物語」を見てファンになった人も多いのではないでしょうか? 同名の原作小説を執筆した赤川次郎さん。今月29日には76歳を迎え、作家としてのキャリアは50年近くにもなります。赤川さんに小説家デビューから成功、そして最近のご様子までのお話を伺いました。
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漫画家を目指した幼少期 脚本家から小説家へ
赤川さんは、福岡県博多区出身。父が東映の教育映画部長だったため、子どもの頃は、小学校を周って上映する映画の試写を自宅でよく一緒に見ていたそうです。その後、父の転勤により、7歳で上京。中高一貫教育の桐朋学園で高校卒業までの6年間を過ごしました。卒業後は、日本機械学会事務局に就職。会社員時代からシナリオなどを投稿し続け、30歳で作家として独立しました。
――小説家になりたいと思われたのはいつ頃からですか?
「実は、小さい頃は漫画家になりたかったのです。当時は、手塚治虫さんが大人気でしたから。でも、絵を描くのが苦手だったので、漫画家は諦めました。ただ、ストーリーを考えることがおもしろかったので、5歳くらいからお話を作っていましたね。中学生の頃シャーロック・ホームズの短編集にはまり、中3から小説を書き始めました。
しかし、会社員になり、結婚して子どもができると、書く時間が取れなくなってきたのです。このままだと書かなくなってしまうと思ったので、シナリオセンターに通って脚本の書き方を学び、締め切りのあるシナリオ募集に応募しました」
――シナリオの初入選はいつでしたか?
「26歳のときに、天知茂主演のドラマ『非情のライセンス』(テレビ朝日系)に初めて応募したら入選してしまいました。書いた脚本がほとんど修正もなくそのまま放送されたのです。初めて自分の脚本が映像化されたときは驚きでしたね。今のようにビデオで録画できる時代ではなかったのですが、テロップで脚本・赤川次郎と本名が出たので、会社にバレてしまいました(笑)。
これに味をしめて次々と応募していたら、1976年、『幽霊列車』でオール読物推理小説新人賞を受賞しました。これも後にテレビドラマ化されて、田中邦衛さんと浅茅陽子さんのコンビが主演しました」
――その頃もまだ、サラリーマンとの2足の草鞋を続けていたのですね。
「そうなんですよ。書き下ろしの依頼が増えただけでは、出版が約束されたわけではないので、会社を辞めることはできませんでした。それが、30歳のときに、『三毛猫ホームズの推理』(光文社カッパ・ノベルズ)がヒットし、『小説宝石』『小説新潮』『小説現代』『オール読物』の4誌から年間、何本書くという約束を取り付けて、作家専業になることができました。
その年の11月に『セーラー服と機関銃』を発表し、これが3年後に映画化されました。当時は、角川がイケイケの時代で、『読んでから見るか、見てから読むか』というキャッチコピーのテレビCMをバンバン流していましたね。
映画が公開されると、ファン層が若い方に広がり、小学生からもファンレターが届くようになりました。その結果、小説でラブシーンを書きにくくなりましたが(笑)」
40歳までは年に24冊出版のハイペース 今でも手書き原稿
――これまででとくに印象に残っている作品は?
「『ふたり』(新潮文庫)ですね。もちろん、『三毛猫ホームズシリーズ』や『セーラー服と機関銃』も印象深いですが」
――時にタイムリーなテーマの作品もありますが、作品のテーマを決める際にニュースを参考にされていますか?
「世の中で起きていることやニュースを見て自然と取り入れていることもありますが、まったく何も取材せずに、すべて想像で書いています。時代も特定していません」
――大学で教鞭を執られていたこともあるそうですね。
「玉川大学で9年ほど講座を担当していました。ある年には、1993年のNHK連続テレビ小説『ええにょぼ』でヒロイン役を務めた戸田菜穂さんも履修していました。彼女は1度も休まずに出席され、今でもまだ交流がありますよ」
――今でも原稿は手書きという噂がありますが、本当でしょうか?
「今でも手書きです。担当者しか読めないような文字ですが、手書きの方が早いのです。夜中に書いた原稿を、宛名を付けてマンションの受付に渡しておきます。翌朝、各社の担当者が原稿を取りに来て、近くのコンビニで取ったコピーを置いていきます。4社くらいの連載を同時に書いていますので、担当同士がコンビニで挨拶して『今日は何枚あったよ」なんて会話が交わされているようです」
――原稿を書かれるのが速いとも伺っております。
「昔に比べたら遅くなりましたよ。今は年間8冊ほどしか出していませんが、40歳くらいまでは、年に24冊出した年もありました。
登場人物が多いので、探偵の名前や人物の特徴をメモして間違えないように気をつけていましたが、この人は眼鏡をかけていたか、などの細かい特徴はよくわからなくなることがあります(笑)」
――おいくつまで書き続けるご予定ですか?
「西村京太郎先生が90歳まで書いていらっしゃったから、私も書ける間は書き続けようと思います。1980年代から2000年代前半のノベルスブームを支えた作家たちが、今は少なくなってしまって寂しいですね」
――赤川先生のファンのひとりとしては、この先も末永く頑張っていただきたいと思います。赤川先生は1月にも、女子高生が大学受験の当日に殺人事件を目撃したところから始まる傑作長編『暗殺』(新潮社)を上梓。赤川先生お得意のスピーディな場面展開に引き込まれ、あっと言う間に読み終わってしまう、週末のお供におすすめの1冊です。
(日下 千帆)
日下 千帆(くさか・ちほ)
1968年、東京都生まれ。成蹊大学法学部政治学科を卒業後、テレビ朝日入社。編成局アナウンス部に配属され、報道、情報、スポーツ、バラエティとすべてのジャンルの番組を担当。1997年の退社後は、フリーアナウンサーとして、番組のキャスター、イベント司会、ナレーターのほか、企業研修講師として活躍中。