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仕事・人生

エルメスなどを手がける世界的アーティスト 日本での住まいに天橋立を選んだワケ

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

世界的アーティストの河原シンスケさん【写真:荒川祐史】
世界的アーティストの河原シンスケさん【写真:荒川祐史】

 近年、旅行や仕事で日本を訪れる外国人が増え、社会のグローバル化が進む一方、日本各地では、古くからの伝統や文化を見直す人々の動きも広がりを見せています。1980年代初頭からフランス・パリを拠点に活動するアーティストの河原シンスケさんもまた、日本の伝統に再注目するひとり。数年前から「日本のルーツや伝統」に強く惹かれ、日本での拠点を東京・六本木から京都・天橋立近くに移しました。「エルメス」などのクリエーションを手がけるなど、世界を知る河原さんは、なぜ天橋立を選んだのでしょうか。そこで感じた伝統工芸の魅力と新たな可能性とは。日本三景を借景とする古民家で、穏やかな口調で語ってくれました。

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幼少期の日本文化との葛藤と、パリで見つけたその価値

 国際色豊かな幼少期だったのかと思いきや、意外にも早くから日本文化に深く触れていたという河原さん。「万葉集」が大好きだった母の影響を受け、小学生の頃から和歌や茶道、着物などの伝統文化が日常にあふれていたそうです。しかし、時代は高度経済成長期。新しいものがもてはやされる風潮のなかで、そうした日本の伝統文化に対して「古臭い」と否定的に感じる自分がいたと振り返ります。

「反発する自分がいて、ヨーロッパの映画や音楽、アートをもっと知りたいと思うようになったんです」

 美術大学を卒業後は、海を渡ってパリへ。日本では使い捨ての消費社会が進む一方で、フランスでは歴史を尊び、質のいいものを長く愛する意識が根付いていました。そんなヨーロッパ文化に触れていくなかで、日本文化や伝統に対する河原さんの意識に、少しずつ変化が現れたそうです。

「たとえば、実家では日常的で古臭いと思っていた日本の置物が、フランスの家に少し違う見せ方で置いてあるのを見ると、『実はこれ、かっこいいのかも』と思う驚きがある。違う光が当たることで、新しい価値に気づかされたんですよね」

 実はパリに住み始めた当初、名もなき若者だった河原さんを助けたのが、子どもの頃にしぶしぶ触れた日本文化だったそう。

「ヨーロッパのなかでもフランスは当時、一部インテリの人たちが日本を深く知っていた。『谷崎潤一郎』といえば『陰影礼賛(いんえいらいさん)ね』と話ができる人たちがいて、そういう文化的な共通項があったことが、自分がパリで受け入れられたひとつのきっかけになったと思います。小学生で写経をしたり和歌を詠んだり、それが嫌で海外に行ったけど、やっぱりそういう原体験があったことが良かった。同じ世代でも触れずにきた人がたくさんいることを思えば、そういう教育を受けて良かったという気がしています」