仕事・人生
エルメスなどを手がける世界的アーティスト 日本での住まいに天橋立を選んだワケ
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世界をめぐって深まった日本への思いと、ルーツを求めた天橋立への旅

人間は十人十色。誰ひとりとして、同じ才能や個性を持つ人はいません。「みんな違う経験をしているのだから、垣根を作らず、教わるもの・盗めるものは吸収していきたい」と話す河原さん。「とりあえずやってみる」をモットーに試行錯誤を原動力とし、パリから世界に活躍の場を広げました。
世界各地で個展を開催し、「ルイ・ヴィトン」や「エルメス」などとのコラボを重ねる一方、「海外にいると逆に、日本や日本人であることを強く意識することがあるんです」と、10年ほど前から日本についてもっと知りたいと思うようになったといいます。
「太古の時代にアジア大陸を離れて日本が生まれ、その後はインド、中国、韓国の文化が日本海側から伝わった歴史がある。自分は日本海側で生まれ育った人間ではないので、日本のルーツに関係する日本海側を知らないで死ぬのはもったいないって」
それまで日本での住まいは六本木にかまえていましたが、「日本海側のどこかに住もう!」と一念発起し、心に響く場所を求めて旅に出ました。帰国するたびに日本海側を青森から南下し、各地を訪れたそうです。そんなときに、縁あって「海の京都」キャンペーンの一環として、京都・宮津市にある天橋立に招かれることに。宮津湾を南北に走る砂州と松林の風景が目に映った瞬間、「ビビッときた」そうです。
「本当に日本の原風景みたいで、実際にあそこを歩くと『うわっ、すごくいいな』って。何度か足を運ぶうちに、神様にまつわる伝説や逸話があったり、元伊勢と呼ばれる籠(この)神社や眞名井神社にも興味が湧いてきたり。宮司を務める海部(あまべ)家は83代続く歴史があるんですよ。歴史的な面白さや『天橋立』という美しい響きを持つポエティックな名前にも惹かれて、ここにたどり着きました」
天橋立を含む京丹後と呼ばれる地域は、丹後ちりめんなどの伝統工芸から海の幸を用いた食文化まで、世界に誇れる魅力にあふれています。そして、荒屋だった古民家を自らの手で2年をかけて改装。新たな命を吹き込みました。河原さんは、交流し始めた地域の人々に、京丹後にある伝統工芸や文化が持つ価値を、新たな視点から伝えるようになったのです。
(Hint-Pot編集部・佐藤 直子)