仕事・人生
青木さやかが離婚時に「1つだけ交わした取り決め」 シンママ育児、闘病を経て…元夫との意外な関係
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2003年、「どこ見てんのよ!」という決めぜりふで一世を風靡(ふうび)した青木さやかさん。下積み時代から人生が一変した一方、ブレーク後には離婚や闘病などの苦労が重なり「本当に八方ふさがりだった」と振り返ります。土壇場の状況から抜け出すきっかけとなったのが「被害者意識をやめる」ということ。お笑い芸人を志した経緯やシングルマザーとなった現在の生活、元夫との意外な関係など、波瀾万丈な半生を聞きました。(取材・文=佐藤佑輔)
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結婚生活は5年で、娘が2歳のときに離婚を決意 パニック障害や肺腺がんの診断も
もともとアナウンサー志望で、芸人になるつもりは全くなかったんです。両親は教師で、世間体を大事にする厳しい家庭。大学卒業後は当たり前に就職するもの、結婚するものという価値観の中で育ってきました。就活では女子アナの試験を受けたんですけど、ことごとくダメで、仕方なくアナウンス予備校からタレントとして登録したのが、この世界に入るきっかけでした。
でも、自分が人を笑わせる仕事をしようとは、全く考えていなかった。あるオーディション番組に受かった後、気づいたらプロフィールが勝手に「漫才芸人志望・青木さやか」になっていたんですよ(笑)。芸人になることに自信はありませんでしたが、先輩方に「面白いな青木」と言われ、この道に進むことを決めました。当時は親への反発もあって、親が一番嫌がる仕事で成功してやろうというのも原動力になりました。
25歳のとき、ダメなら結婚すればいいやという軽い気持ちで、当時付き合っていた彼と一緒に上京しましたが、結局別れて借金だけが残った。ギャンブルも好きで、自己破産するか地元に帰るかというタイミングで、今の事務所から声がかかったんです。30歳でブレークした後は本当に休む間もなく、渋滞のときはタクシー代わりにバイク便に乗せてもらって移動してました。
34歳で結婚して、娘を出産したのは36歳のとき。結婚生活は5年で、娘が2歳のときに離婚しました。離婚の原因はよく聞かれますが難しいです。想像するに1つは、母との関係でしょうか。母が生まれたばかりの娘を抱いた瞬間、「私の大事なものに触らないで!」って思ってしまって、すごくひどいことを言ってしまった。夫は、私が実の母親と仲が悪いことに対して、すごく複雑な思いを持っていたみたいでした。
金銭的なことも問題になったかもしれません。結婚する時に「夫婦半々の家賃で住めるところにしよう」と提案されたんですけど、私はずっと頑張ってきたという思いがあったから、生活レベルを落としたくなかった。結局、家賃はほとんど私が出す形になったんですけど、私も無理をしていて、彼にもっと家事をやってほしいという思いがありながら、それを言葉で伝えることができず不機嫌にしていた。今、冷静に考えると、私はどんな人ともうまくいかなかったんじゃないかな。
娘が小さいころは本当に大変な毎日で、朝に幼稚園に預けて、午後は保育所、夜はシッターさんに預けて……。1日働いて稼いだお金より、保育料の方が高い日も当たり前のようにありました。娘と一緒に過ごせるわずかな夜の時間でさえも、「明日も早いんだから早く寝てくれないかな」と思っていて、ちゃんと時間を取って娘に向き合った記憶はすごく少ない気がします。
ちょうどその頃にパニック障がいと診断されて、40代になってからは肺腺がんになって、父が突然亡くなって、母が悪性リンパ腫になって……。悪いことが全部同じタイミングで起こって、本当に八方ふさがりでした。どこを見ても出口がない。1つだけ光りが差す方向があるとしたら、もう上を見るしかない。今までの考え方を変える、行動を変えるしかないと。
限界ギリギリの状況の中で、やり始めたことの1つが「被害者意識をやめてみよう」ということ。離婚にしても、母との関係にしても、私はずっと「自分は被害者なんだ」と思ってきたけど、何かのせい、誰かのせいにしても、全然状況は良くならないどころか、どんどん悪い方向に進んでいった。結局、何をどう捉えるかも自分次第なんだったら、自分の考え方を変えてみようと。
元夫に対しても、頼みごとをお願いしたり、その都度感謝の意思を伝えたりするようにしたら、離婚前より関係が良くなった。離婚してこんなに頑張れるんなら、結婚してる間に頑張れることもあったなと気づきました。
離婚にあたって、1つだけ夫と交わした取り決めがあります。それが、娘の意思が変わらない限り、20歳になるまで週に1回は必ず会うということ。父親に新しいパートナーや家庭ができると、どうしても子どもと会う機会が減って、それが本当に子どもの心を傷つける事例が多いんだそうです。私自身、高校生のときに両親が離婚して、なかなか父に会う機会がなく、家の中では父の話題を出すこともはばかられた。それはすごく残念だったし、寂しいことだったので、それだけはしないようにしようと。
離婚しても子どもにとってはたった1人の父親なので、そこの関係性はしっかり作ってあげたかった。「お父さんはすごくあなたのことを愛しているんだよ」というメッセージはずっと伝えてきました。娘は今高校1年生ですが、変わらず週に1度はお父さんのところに泊まりに行っています。
(Hint-Pot編集部/クロスメディアチーム・佐藤 佑輔)
