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「笑っていいとも!」でカミングアウト 自分らしさ貫くKABA.ちゃん、人生を変える瞬間に導いた家族の言葉
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3月8日が「国際女性デー」と国連で定められてから、今年で50周年を迎えます。2021年から女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた特集「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を実施してきた株式会社Creative2は、節目の年となることを記念して、今年は「女性の生き方を考える」をテーマに運営する3つの媒体で企画を展開します。
「Hint-Pot」では、「自分らしく生きる女性」にクローズアップした特別企画を掲載します。タレントで振付師のKABA.ちゃんは、2002年に性同一性障害を公表し、2016年に女性に戸籍を変更。信じる道を突き進むKABA.ちゃんの、「自分らしさ」の原点とは――。ジェンダー平等の実現を目指す記念日として定められた国際女性デーを前に、自身が歩んできた道のりを改めて振り返りました。
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自分らしさを出す大切さを知った中学時代の3年間
物心ついたときから、自分は女の子だと思っていました。1歳年下の弟と体は一緒だけど、「私は成長したら男性から女性の体に変わっていく」と本気で思っていました。それが小学5年生のときに、保健の授業で男子のほうに連れていかれて、そこで「私は女の子じゃなかった」と、改めて知ってショックを受けました。
誰に習ったわけでもないのに、しゃべり方も仕草も女の子っぽくて、お気に入りのアニメは女の子系、友達も女の子が多かった。憧れていたのもピンクレディーさんなどの女性アイドル。いいなと思う相手も男の子だったので、そうしたことを理由に小学校時代はよくいじめられていました。
この状況が、これから何十年も続くのか……。そんなふうに思ったらすごく嫌になってきて、中学校入学を機にいじめっ子たちと学校がバラバラになるのもあり、この機会に変わろう、「自分らしくいよう」と決意したんです。
わかりやすく言うと、入学式の日から“オネエ丸出し”。本来の自分らしさを前面に出したんです。最初こそトラブルもあったけれど、何か言われても言い返すようにしていたら受け入れてくれる友人も多くて。いつの間にかクラスの中心になって、性別関係なくみんなと仲良くなれました。中学時代は、人生でトップスリーに入るくらい楽しい3年間でしたね。
バレないように過ごしたdos時代の苦悩

私が中学時代に学んだのは、自分の内面を隠すのではなく、逆にオープンにしたほうがいいということ。それは20歳のとき、ダンス留学で行ったニューヨークでも実感したことでした。あるカフェに入ったときのこと、外見は男性でしゃべり方や仕草が女性という店員がいたのですが、周りにいる人は誰ひとりとして気にしていない。一緒にいた友達にそのことについて聞いたら、「こっちは自己主張していかないとやっていけないよ。自分らしくあっていいのよ」と言われたんです。
私が中学時代に感じたことは間違っていなかったんだ。私の中に芽生えていた「自分らしく」という言葉は、人生のひとつの指針として確かなものになりました。
でも当時の日本は、まだ性同一性障害が社会で十分に理解されていない時代。仲がいい人にはオープンにできても、ときには隠さなくてはいけない苦しさを味わうことがありました。
1996年に3人組ダンスボーカルユニット「dos」としてデビューしたときもそうでした。「歌って踊って芸能界で活躍する」という小さい頃からの夢が叶った一方、スタッフからは「応援してくれるファンのために、女性の部分を隠してくれ」と言われて。最初の頃は憧れの舞台に立ち、好きな音楽活動ができているので、楽屋や家から出るときも注意を払い、移動が制限されているような生活でも我慢できました。
でもある日、dosがテレビ番組「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに呼んでもらえることになったのですが、前日に高熱が出て私だけ出演できず。原因は急性ストレス性胃炎でした。
周囲にバレないようにするために共演者の方とも自由に話ができず、テレビや取材でしゃべるときも気をつけて。それでも、本来の自分らしい女性的な部分がつい出てしまうとスタッフに怒られる。知らないうちに、私の心と体は限界値を超えていたのかもしれませんね。