仕事・人生
引退を考えたことも…モデルから演技の道へ進んだ岡本玲 日々を支える猫の存在
公開日: / 更新日:
ティーンのカリスマとして雑誌「nicola(ニコラ)」(新潮社刊)でモデルデビューした岡本玲さん。現在は俳優として、映画や舞台などでキラリと輝く演技を見せています。表現を磨いていく中で、経験を重ねても必ず結果が付いてくるわけではない難しさに、「俳優を辞めよう」と思い詰めた時期もありました。
“仕事人間”だった岡本さんですが、3年ほど前に迎えた愛猫の「とろろ」ちゃん(マンチカン・3歳)と、2年ほど前に家族になった保護猫の「おかかちゃん」(種別不明・推定4歳)が癒やしてくれるとのこと。「失敗してもめげない、メンタルの強さを見習いたい」とおてんばな2匹から、教わることも多いそうです。8月27日からKAAT神奈川芸術劇場で幕を開ける舞台『湊横濱荒狗挽歌~新粧、三人吉三。』(みなとよこはまあらぶるいぬのさけび~しんそう、さんにんきちさ。)を控えた岡本さんに「生涯の仕事」と定める俳優業について聞きました。
◇ ◇ ◇
中1で「モデルとしては難しい」と悟り…芝居の世界へ
和歌山県出身の岡本さん。2歳上の姉が持っていたティーン誌「ニコラ」が大好きな女の子でした。
「田舎育ちだったので、エンターテインメントに疎くて……。でも近所に住んでいたお姉さんが『宝塚音楽学校(兵庫県宝塚市)を受験した』と聞いて、私は『おしゃれが好きだし、雑誌に出ているモデルさんに会ってみたい!』と『ニコラ』のオーディションに応募しました」
無限の可能性を秘めた少女は、見事グランプリに輝き、2003年に同誌の専属モデルとして芸能界入りを果たしました。
撮影の度に上京し仕事をこなしていた中学1年生の時、「モデルとして仕事を続けることは難しいかもしれない」と将来を思案します。
「周りの子は165センチ以上あるのに、私は155センチ。家族も父以外は母も姉も小さくて、伸びる見込みはない……と悟ってしまったんです」
そこで事務所のスタッフに相談して勧められたのが、お芝居のワークショップに参加することでした。
「子どもの時から器用で、興味を持った分野では好成績を収めていた」と語る岡本さんですが、ワークショップでは「あまりの下手さに愕然とした」と苦笑い。それでも「演技の道に進みたい」と、所属事務所の社長宅に居候する形で、高校進学と同時に東京にやってきました。
努力をしても空回りすることが多かった…高校と大学時代の苦悩
上京直後から「俳優になりたい」と息巻く岡本さんに、「いろいろなことを経験して、恥をかきなさい」といなした社長。「芸の肥やしになれば」とドラマや映画など俳優としての活動と並行し、バラエティ番組や歌手活動などにも意欲的に取り組みました。人前で話すことが苦手、ピアノを弾くのは好きだけど、歌うのは恥ずかしい……。「毎回、反省会だった」と苦労を語ります。
努力をしても空回りすることが多かった時代。親元を離れた孤独もあり、学業に身が入らない時期もありました。高校では普通科ではなく、芸能コースに通っていた岡本さんは「友達だけど、ライバル」という関係に疲弊してしまいます。視野を広げたいという思いもあり、3年生の春に大学に進むことを決意しました。
「もうギリギリの選択でしたが、何かを学ぶなら大好きなお芝居をきちんと勉強したい」と、真田広之さんや神田正輝さんなどを輩出している日本大学藝術学部映画学科を目標に定めました。
「当時はモデル、歌、バラエティなど、いろいろやらせていただいて。周囲の人の中には、『本当は何がやりたいんだ』と思う人もいるだろうなと感じていました」
雑音を払拭したいと、受験モードにシフト。見事合格し、夢のキャンパスライフが始まりました。
「滑舌や身体表現など基礎を学ぶ中で、できていないことが多かったなと痛感しました。全国から集まった『映画好き』と知り合えたことも刺激になりました。映画への愛情が強く、知識も豊富で、『映画を作りたい』という熱意もすごかった」
同じ環境で学ぶ学生とは違い、すでに芸能人として活動していた岡本さん。「プロが集まる現場で出会う同世代よりも、大学仲間の方が探求心にあふれていました。エンターテインメントの世界に足を踏み入れていた自分がそう感じて、少し恥ずかしかったですね」と、肩をすくめます。当時は「負けていられない!」と食らい付く日々でしたが、もがいてももがいても思うように上達できない自分がいたそうです。
「モデル時代は、読者が求めていることを分析して、体現すれば少しずつでも結果が表れていたのですが、演技はそうはいかなくて。鉄棒の練習や英語の単語記憶などのように、やればやっただけの結果も付いてこなくて。初めての挫折でした」と顔をゆがませます。