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小林陵侑の金メダルで注目のスキージャンプ “飛び降り”から美しい飛型への変遷が話題

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

男子ジャンプNHで金メダルを獲得した小林陵侑選手【写真:Getty Images】
男子ジャンプNHで金メダルを獲得した小林陵侑選手【写真:Getty Images】

 北京五輪で今大会日本勢初の金メダルを獲得したスキージャンプの小林陵侑選手(土屋ホーム)。他を寄せ付けなかった飛距離だけでなく、空中での美しい飛型にも大きな称賛の声が寄せられました。SNS投稿からこの機会に注目してほしい選手や競技などを紹介する「Hint-Pot スポーツSNS調査隊」は今回、そんなスキージャンプの変遷にフォーカス。ジャンプ台施設や選手の飛び方が進化する様子を紹介した映像が注目を集めています。

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1924年シャモニー五輪から採用されたジャンプ競技

 6日に行われた男子ジャンプ・ノーマルヒル(NH)決勝。小林選手は見事なジャンプを2本揃えて、日本勢のジャンプ競技としては1998年長野五輪の船木和喜さん以来24年ぶりの金メダルを獲得しました。前回2018年平昌五輪のNHで7位に入賞したのをきっかけに、2018-19年シーズンでは日本勢初のW杯総合優勝。世界から実力を高く評価されるジャンパーは、今回の北京五輪で新たな勲章を手にしました。

 より遠くへ飛ぶということはもちろん、飛躍時のフォームの美しさも重要なジャンプ競技。試技に対するスコアは主に「飛距離点」と「飛型点」で構成され、これに向かい風や追い風による得点の増減が加えられます。小林選手の1回目は全体2位の104.5メートル。107.5メートルを飛んだトップの選手に3メートルの差をつけられましたが、60点満点の飛型点は全体トップの57点をマークし、このアドバンテージが最後に生きた形となりました。

 1972年の札幌五輪で「日の丸飛行隊」が表彰台を独占した時や、長野五輪で船木選手が金メダルを獲得した時に共通していたのが、この「美しい飛型」。小林選手は今回、強さとともに美しさも見せつけ、日本の“お家芸”復活を強烈に印象付けました。

技術革新が進んだ「飛び方」 現在のベーシックは92年頃から

 とはいえ、こうした美しいジャンプにたどり着いたのは先人たちの苦労や努力があってこそ。スキーのジャンプ競技が冬季五輪の正式種目となったのは1924年のフランス・シャモニー五輪からです。そこで、国際オリンピック委員会(IOC)の日本語公式ツイッターは、当時からの様子を収めた貴重な映像を公開しました。

 シャモニー大会のジャンプ台から飛び出す選手は両足を揃え、両手をグルグル回しながら飛躍。その姿はジャンプというより“飛び降り”と言っても過言ではありません。着地技術もないため、最後に転んでいる様子もうかがえます。1932年レークプラシッド大会では選手の手の回し方もバランスをとったものとなり、飛距離もアップ。

 次に、1952年オスロ大会ではジャンプ台も整備され、選手の空中姿勢もスマートに。1972年の札幌五輪では、スキー板をまっすぐに揃えて浮力を利用するスタイルが定着します。空中で手を回す選手はいなくなり、両手を体につけて飛ぶようになりました。

 その後、1985年にスウェーデンの選手がスキー板をV字型に開く飛び方を採用すると、いわゆるV字ジャンプが主流に。1992年アルベールビル大会では多くの選手がV字ジャンプを取り入れ、着地時も両腕を水平に伸ばした上で両足のスキーを前後にずらして降りる「テレマーク」姿勢を入れるようになりました。これが現在のベーシックな飛び方になっています。

 他の冬季五輪種目は違い、一般人が簡単に挑戦できない競技とあってリプライ(返信)には「みんなすごい」と感嘆のコメントも。2014年ソチ大会からは女子NHも種目に加わり、女子選手の参加も実現しました。

 スキージャンプ競技は98年の時を経て、格段の進歩を遂げました。そんな近代五輪で各選手が競い合う中、見事に金メダルを獲得した小林選手。今後は個人種目のラージヒルだけでなく、混合団体、男子団体と団体戦も控えています。残る種目を観戦する際には、ジャンプ競技の進化にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(Hint-Pot編集部)