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「六本木」となぜ呼ばれた? 今も残るランドマーク的地名 命名された意外な事情

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

教えてくれた人:日本地名研究所

六本木の街並み【写真:写真AC】
六本木の街並み【写真:写真AC】

 多くの人にとって地理的な目印として重要な意味を持っているのが、俗に「ランドマーク」といわれる建造物や特徴物。今も残る地名の中には、昔のランドマークから名付けられた呼称も多く存在します。40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもとに発足した「Hint-Pot 地名探検隊」は今回、ランドマークに由来する昔ながらの地名に注目。今やIT企業の中心地とも呼ばれる「六本木」はどんな位置付けだったのでしょう。

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「木」に関連した地名は歴史ある交通の拠点

 地名は2人以上が情報交換するため、必然的に発生したものです。古代の人々にとって狩猟や採集場所の目印、物々交換などの交易ができる場所への道などを共有するのは、生きていくための重要な要素の一つであったことは十分考えられます。そのため、地名を紐解くと、その土地のさまざまな特徴が見えてきます。

 まずは、今や全国的知名度を誇る「六本木」。文字通り、6本の木というランドマークがあったことから名付けられたという説があります。昔、北から京へ向かう旅人は、奥州街道を通って武蔵野台地の淵を抜け、ゆるい崖を下って多摩川を渡っていました。6本の木が立つ「六本木」は、そんな旅人たちにとって多摩川へ下る際の重要な「目印」だったと思われます。

 江戸時代、六本木は「麻布六本木町」という小さなエリアでした。しかし、明治2年に「六本木町」となり、昭和42年の住居表示に関する法律施行により、周辺のたくさんの町を合併して六本木1~7丁目を形成。元の六本木町は、現在の六本木5、6、7丁目の一部にすぎません。

 また、六本木からほど近い港区高輪にある「二本榎(ニホンエノキ)」もランドマーク的な地名です。元々あった2本のエノキの木が由来で、高輪2丁目にある「二本榎の由来」碑には「榎は幾度となく、新植・移植が行われ、町の大切な象徴になっております」と書かれています。

 この道は東海道が整備される前の台地上の古道であったようで、「更科日記」を書いた菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が、下総から京に戻る道中を記録した中にもこの道の姿が描かれています。