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「六本木」となぜ呼ばれた? 今も残るランドマーク的地名 命名された意外な事情
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教えてくれた人:日本地名研究所
東京スカイツリーがそびえる「押上」は実は軟弱な地盤の地域だった?
江戸時代、江戸と各地を結ぶために江戸の「日本橋」を起点とする五街道が整備されました。東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道、5つの幹線道路の始まりとされた日本橋は、日本の歴史的なランドマークの代表格といえるでしょう。
現在、日本橋の上には首都高速道路が通っていますが、景観形成と都市再生の狙いからこれを地下に移設する工事が進んでいます。日本橋の橋の上には「日本国道路元標」があり、まさに日本の道の起点を意味していること、そして歴史的観点からすると、喜ばしいことかもしれませんね。
一方、現代の東京におけるランドマークは、何といっても東京スカイツリーでしょう。ビルとビルの間から見える東京スカイツリーもいわゆる“映え写真”の撮影スポットとして興味深いですが、遠くの地域から東京スカイツリーを探すのも楽しいもの。どこにいてもすぐに見つけられるというのは、まさにランドマークとしての役割にふさわしい建造物といえます。
そんな東京スカイツリーのある場所は「墨田区押上」。京成押上線と地下鉄都営浅草線、東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線が乗り入れる押上駅は、「スカイツリー前」が副駅名となっています。スカイツリー開業から10年が経ち、すっかり首都圏のランドマークとして定着していることから、押上という地名は薄れてしまうのでしょうか。
そんな押上という地名の成り立ちをご紹介しましょう。この辺りには、隅田川と葛西用水や亀有上水を結ぶ曳舟川(ひきふねがわ)という水路がありました。水位の高低差がないため、舟を綱で引いたことが「押上」の由来だと思われます。
明治24年には「向島押上町」となりましたが、その地名になる前には「向島請地町」とあります。請地とは領主に代わって耕作を請け負った場所という意味ですが、浮地(埋め立て地)とも考えられ川の砂州にできた軟弱地帯を意味しているとも解釈できます。そんな場所に建設された東京スカイツリー。今は地盤にしっかり根を張り、東京の町を見下ろしているというのも不思議な感じがします。
(Hint-Pot編集部)