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“3時のおやつ”は江戸時代が起源 「時の記念日」に学ぶ日本文化

著者:鶴丸 和子

「時の記念日」に学ぶ時間の概念の今と昔(写真はイメージ)【写真:写真AC】
「時の記念日」に学ぶ時間の概念の今と昔(写真はイメージ)【写真:写真AC】

 6月10日は「時の記念日」。「きちんと時間を守り、時を大切に無駄がないように意識しよう」と生活の合理化を進める目的で、1920年(大正9年)に制定されました。この記念日にちなみ、昔の日本における時間の概念についてご紹介しましょう。かつては何時何分といった呼び方はなく、十二支や数字で表していました。

 ◇ ◇ ◇

昔は「不定時法」が基本 鐘の音で時刻を知った庶民

 時の記念日が6月10日になった理由は、「日本書記」の一節にあります。671年4月25日、天智天皇は水時計を設置して鐘や太鼓で時刻を知らせたそうです。この日を新暦(太陽暦)に換算すると6月10日になることから、この日が記念日とされました。

 現在の私たちは、一昼夜を24等分して1時間ごとに区切った時刻を用いています。これは「定時法」と呼ばれ、日本で新暦が用いられるようになった1872年に定められました。その後、米国のワシントンで開催された「国際子午線会議」で、英国のグリニッジ天文台を通る子午線が世界の時刻の基準になると、日本も標準時を制定。兵庫県明石市が基準になりました。

 その前の日本は「不定時法」が一般的だったようです。江戸時代は1日を日の出から日の入りまで(昼)、日の入りから日の出まで(夜)に分けて、それぞれを6等分して表しました。日の出と日の入りは季節のめぐりで変動します。庶民は日時計を使い、太陽の光でできる影の位置で時刻を知ることもあったようですが、主に寺などで鳴らす鐘の音で時刻を知ったといわれています。

十二支と数字で時間を呼ぶ風習 「丑三つ刻」は何時頃?

十二支(イメージ)【イラスト:イラストAC】
十二支(イメージ)【イラスト:イラストAC】

 江戸時代の時刻をもう少し詳しく見てみましょう。何時何分といった概念はなく、およそ2時間を「一刻(いっとき)」とし、さらに約30分ごとで4つに区切りました。時刻の呼び方に使われたのは十二支と数字です。

 例えば深夜の零時前後(午後11時~午前1時頃)は十二支の「子(の刻)」で、昼の12時前後(午前11時~午後1時頃)は「午(の刻)」。「正午」は午の刻のちょうどを意味し、「午前」は午の刻の前、「午後」は午の刻の後が由来しているといわれています。

 草木も眠る「丑三つ刻(うしみつどき)」は、ひっそりと静まり返っている不気味な深夜の時間帯を表す言葉です。これは丑の刻をおよそ30分ごと4つに区切った3番目の時刻で、現在の時刻では午前2時~2時30分頃にあたります。

 また独特の数え方もあります。子の刻は夜の「九つ」で、そこから丑は「八つ」、寅は「七つ」、卯は「六つ」、辰は「五つ」、巳は「四つ」と呼ばれました。午の刻は昼の「九つ」で、そこから未は「八つ」、申は「七つ」、酉は「六つ」、戌は「五つ」、亥は「四つ」です。

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