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奈良時代のヒロインをめぐる伝説 悲劇の地名「ママ」に込められた意味は
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教えてくれた人:日本地名研究所
奈良時代末期、その美しさから万葉集に歌われた「手児奈(てこな)」という伝説のヒロインがいたことをご存じでしょうか。男性から受けた多くの求愛に悩み、入り江に身を投げて命を絶つという悲しい結末を迎えた女性です。壮絶な最期を迎えた場所は、京の都でも有名な「ママ」と呼ばれる場所でした。日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと、地名の由来を深掘りする企画「Hint-Pot 地名探検隊」は今回、今も各地に残る「ママ」の地名について調べてみました。
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「ママ」は傾斜地を示す地名 「壗」や「儘」の字が使われているところも
千葉県市川市に伝えられる昔話「真間の手児奈」。「真間」の井戸の水を汲みに来る人々の中に「手児奈」と呼ばれる美女がおり、その評判は近隣だけでなく国を守る役人や京からの旅人にまで及びました。しかしいつしか、その評判を聞いて近づいた男性たちの間でトラブルが頻発。「私さえいなくなれば争いはなくなる」と思った手児奈が真間の入り江に身を投げた、というお話です。
悲劇の舞台となった「真間」はなぜ「ママ」と呼ばれていたのでしょうか。日本最大規模の国語辞典「国語大辞典」(小学館刊)には、「ママ」は(1)急な傾斜地(2)崖(3)畦畦(けいはん)(4)堤の崩れたところ(5)水辺の窪地と記されています。高地の側面を表す上で緩急の差はあるものの、傾斜地を示す地形や地名という点では共通しているのです。
こうした「ママ」と呼ばれる地名は、やはり全国に存在しています。東京都国立市にある「ママ下湧水公園」は河岸段丘の一つ、青柳崖線からの湧水があった地点を「ママ下」と呼んでいたことが由来です。「ママ」がなぜ崖地名なのかというと、崩れた形状が“そのまま”であったことや、「ママ」と読む「壗」「儘」が厳しい地形を意味しているからともいわれています。
神奈川県南足柄市には「壗下」という地名があり、立木望隆氏の著作「足柄上・下・小田原地区 郷土の地名」(郷土文化研究会刊)には「段丘の畑(端)が尽きたようなところ」とあります。万葉集の中にある「足柄の麻萬の小菅の菅枕 あぜか枕(ま)かさむ 子ろせ手枕」という東歌はこの地のことで、ここにある「麻萬」も崖を意味する「ママ」のこと。古代の官道だった足柄峠の道に近いことからこのような歌が詠まれたのでしょう。
冒頭に書いた「手児奈」は京でも評判が高い女性だったこともあり、多くの歌が詠まれています。中でも有名なのが、奈良時代の宮廷歌人だった山辺赤人(山部宿禰赤人)が手児奈の墓を尋ねて詠んだ東歌「足の音せず 行かむ駒もが葛飾の 真間の継橋やまず通はむ」。音がしない馬がいたら真間の継橋をいつも通ってあの人に会いたいという意味ですが、やはり「真間(ママ)」が使われていることを見ても、当地が厳しい地形に置かれていたことが分かります。
(Hint-Pot編集部)