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東京と神奈川になぜ同じ「丸子」の地名が? 地形の変遷や古来の仕事との知られざる関係

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

教えてくれた人:日本地名研究所

東京と神奈川の間、多摩川下流に架かる丸子橋【写真:写真AC】
東京と神奈川の間、多摩川下流に架かる丸子橋【写真:写真AC】

 全国各地で見られる「丸子」の地名。字面だけを見ると何やら円型の物体との関連を想起させますが……その裏に隠されている地形との関係など、どんな歴史があるのでしょう。40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと、地名の由来を深掘りする「Hint-Pot 地名探検隊」。今回は「丸子」についてです。

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川とは切っても切れない関係の「マルコ」 かつては職人たちの住み家?

 東海道五十三次の20番目の宿駅だった「鞠子宿」。現在の静岡県静岡市駿河区を流れる丸子川沿いにあり、今では「丸子宿」と表記されることも多い場所です。これに代表されるように、日本全国には「マリコ」「マルコ」と呼ばれる地名が点在しており、川と切っても切れない関係があるという点が共通しています。

「マリコ」という地名の多くは、街道が川を横切る地点に存在しています。文化3年(1806年)に刊行された「東海道分間延絵図」には、丸子宿のそばを流れる丸子川に橋が架かっている様子が描かれました。この地は府中宿と安倍川を挟んで相対した渡河付近の宿駅です。

 また、長野県上田市にある「上丸子」「中丸子」「下丸子」は千曲川の支流依田川に沿って長く延びた地域。ここも上田方面に向かう街道の川を横切る地点にあります。

 神奈川県川崎市中原区には「上丸子」と「中丸子」がありますが、「下丸子」だけは東京都大田区です。実はこの3地域、昔は一つの村でしたが、多摩川の流路が変わったことで分断され、現在に至っています。「等々力(とどろき)」のように東京都と神奈川県に同じ地名があるのも「丸子」同様、同じ村が多摩川の流路の変遷により分断されたことが影響しているのです。

 神奈川県西部に酒匂川の古名が丸子川だったといわれています。この由来を読み解くヒントとなりそうなのが、神奈川県足柄上郡山北町の酒匂川に架かっている「鞠子橋」。橋の名は遺称とみられ、かつてこの付近が丸子と呼ばれていたことが関係していると考えられます。

 この丸子(鞠子)の地名は、古代の部(べ)の一種だった「丸子部(まるこべ)」の居住地であったことに由来するという説があります。「丸」の別の読み方は「和邇(ワニ)」。和邇氏は古代の大族で、丸子部はその配下の民だったとされており、「マリコべ」「マルコべ」と呼んでいたようです。

 鞠子部は鞠部(まりべ)とも同族と考えられ、「姓氏家系大辞典」(国民社刊)の「鞠部」の項には「職業部の一つにして、椀を作るを職とせし品部(しなべ)と考えられる」との記載も。これは木地師を職業としていたことを意味しています。

 丸子部は渡河に関する仕事として、渡し守の業務に携わっていたと考えられてきました。街道の往来する人々を監視・警備し、対岸への物資輸送に従事。河川の川上から川下への行き来にも関わっていたと思われます。「丸子」という表記から円形のものに関連した地名と思われがちですが、実は昔からの仕事に由来しているというわけです。

(Hint-Pot編集部)