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東京のスタイリッシュエリア「青山」 地名の由来を追うとつながる“意外な県”とは
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教えてくれた人:日本地名研究所
おしゃれなカフェやブランドショップなどが立ち並び、ショッピングエリアとして人気が高い東京都港区の青山。箱根駅伝の強豪・青山学院大学や有名企業の本社があることでもおなじみです。今回の「Hint-Pot 地名探検隊」はこの「青山」をクローズアップ。広く知られる地名の由来は一体どこからきているのか、40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力で深掘りします。
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江戸時代は“西の外れ” 家康が鷹狩りを楽しんだ場所
東京都港区で「青山」が付く地名は広範囲にわたります。江戸時代にさかのぼると、江戸城の西の外れにあたる地域。徳川家康が江戸城に入った頃、その西から北にかけては広漠とした武蔵野の台地です。そこに刻まれた小さな谷に農家や寺院がわずかにある程度で、見渡す限りの原野だったといわれています。
その頃、家康の趣味は城の西で行っていた鷹狩り。当時の重臣だった武将の青山忠成に「目の及ぶ限りの地を忠成に与えよう」と申し渡しました。そこで忠成は、鷹狩りが行われていた地域を馬に乗って巡視し、木に紙を結んで境界の印を作ったと伝えられています。
その結果、東は赤坂・南麻布、西は渋谷・原宿、北は千駄ヶ谷に及ぶ広大な土地を領地として与えられました。忠成は幼少から家康の小姓として仕え、当時は相模に5000石の領地を有する家臣でしたが、のちに関東総奉行の職に就いた実力者。家康にとっては江戸城の西を固めるための策であったと思われます。
その後、人々はこの地に移り住むように。そこから村ができ、分割などを経て現在の南青山・北青山付近が「青山」と呼ばれる地域になりました。つまり、東京の青山の地名は色や地形とは関係なく、人物の名に由来しているのです。
青山氏は、古くは近江(現在の滋賀県)に住み、藤原北家花山院(かさのいん)流に属していました。後醍醐天皇の孫にあたる尹良親王(ゆきよししんのう)の荘園が上野国(現在の群馬県)吾妻郡青山郷にあったため、南北朝時代の元中元年(1384年)に親王のおともとして上野国に移動。藤原師重がこの土地の名前を冠して「青山」と名乗ったのが始まりといわれています。現在の群馬県吾妻郡中之条町にも「青山」という地名があり、この一帯に青山郷がありました。
モダンでスタイリッシュな街の「青山」が、ルーツをたどれば群馬県や滋賀県に至るというのは興味深い話ですね。
(Hint-Pot編集部)