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情緒あふれる「矢切の渡し」 地名の由来に隠された悲しき歴史 川との関係は?
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教えてくれた人:日本地名研究所
演歌ファンにとって不朽の名曲といえるのが「矢切の渡し」。元々はちあきなおみさんの曲でしたが多くの歌手がカバーし、1983年2月に発表された細川たかしさんのバージョンが大ヒットとなりました。これがきっかけで、千葉県松戸市にある「矢切の渡し」も脚光を浴びることに。今回の「Hint-Pot 地名探検隊」は「矢切」に注目。40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力を得て、その歴史を紐解きます。
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江戸時代から運行されている渡し船 「日本の音風景100選」にも認定
東京都葛飾区柴又と千葉県松戸市下矢切の間には、現在も矢切の渡しが運航しています。東京都と千葉県の境を流れる江戸川をつなぐのは、木製の手漕ぎの船。「ギーッ、ギーッ」と船頭さんに漕がれる船は情緒にあふれ、2018年には東京都葛飾区の柴又帝釈天界隈と合わせて「日本の音風景100選」(環境庁)に認定されました。
江戸初期は現在の隅田川が武蔵国と下総国の境。利根川や荒川などが江戸湾に流れていましたが、徳川家康の命で利根川の瀬替え(河川流路の付け替え、利根川東遷事業)が行われました。現在はその一部が江戸川や中川、荒川などになり東京湾へ至っています。
矢切の渡しは、江戸川の両岸に田んぼを持つ農民が関所の渡しを通らずに自由に行き来できるために誕生しました。伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の舞台になったこともあり、現在も人気の観光スポットです。
千葉の北総台地の前面、現在の北総鉄道北総線の矢切駅付近が矢切一帯です。「角川地名大辞典」(角川書店刊)の千葉県版には、「矢切を谷切・八喰・矢喰と書く。江戸川左岸氾濫原低地に位置する。地名の由来は、台地西側辺縁部に沿って、上・中・下矢切の地内を南北に縦貫する大堀という谷津があることによるという」と書かれています。
松戸市内の矢切神社近くにある矢喰村庚申塚の由来には「北条氏 里見氏の国府台合戦はこの矢切が主戦場となり、多くの戦没者を出し、一家は離散の塗炭の苦しみから、弓矢を呪うあまり、矢切り・矢切れ・矢食いの名が生まれた」とあります。矢切神社の掲示には「この地は矢切郷矢喰村」との記載も。現在は穏やかな風景が広がる矢切ですが、その地名は戦いの歴史を物語っています。
「矢」の字を使った地名は全国にありますが、その由来は必ずしも合戦などの戦いだけではありません。元々は川に影響された地名なので、湿地を意味する「谷地」と同じ意味でしょう。しかし、それを「矢」と書いたことを考えると、川の流れを意識しての表記と思われます。矢切・矢喰の「切」の字は川の勢いによって堤が切れた地点を意味し、「喰」は浸食地名といわれます。
多摩川沿いにある東京都大田区の「矢口」や稲城市の「矢野口」は早い川の流れに関係していると思われます。また、神奈川県横浜市鶴見区の「矢向」や横浜市港北区の「矢上」という地名も、付近を流れる鶴見川と関連しているようです。
(Hint-Pot編集部)