ライフスタイル
静岡が誇る水の都「三島」 地名誕生に隠された壮大なスケールの物語とは
公開日: / 更新日:
教えてくれた人:日本地名研究所
伊豆半島の基部に位置し、かつては東海道の宿場町として栄えた「静岡県三島市」。富士山の伏流水で育ったウナギやワサビなど、名産や観光資源も多い町です。40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと、地名の由来を深掘りする「Hint-Pot 地名探検隊」は今回、「三島」に注目。この地名が生まれるまでには何ともスケールの大きいドラマがあったようです。
◇ ◇ ◇
伊豆諸島から北上してきた「三島の神」 始まりには壮大な神話が
静岡県三島市の「三島」は、市内にある三嶋大社の神社名によることは、ご存じの方も多いことでしょう。一方で、この三島の神が伊豆諸島から徐々に北上して、現在の地に遷座したことを知っていましたか?
「三宅記」と呼ばれる長大な縁起物語に、伊豆諸島の「島生み」の神話が語られています。その内容を要約すると次のようになります。
昔、天竺(インド)の王子が流浪の末、日本に渡来して富士山頂の神と出会い、安住の地を請い求めたところ、富士山頂の神は「海中ならばどれだけでも与えよう」と引き受けたとあります。王子はその後、丹波で翁と嫗に出会い、伊豆の海中に島を焼き出して住むことを勧められました。さらにそこへ若宮大神(知恵と繁栄の神様)、剣の御子(武道の神様)、見目(縁結びの女神様)が加わり、王子は「三島大明神」と名乗るようにと翁と嫗から言われたそうです。
王子は3人に命じて、竜神と雷神を雇い、大規模な島焼きを行ったといいます。こうして七日七夜の間に十島を焼き出し、明神は第1の島を「初島」と名付け、第2の島は神々が集まって島々を焼き出すための詮議をしたので「神集島(こうずしま)」、第3の島は大きいので「大島」、第4の島は潮の泡を集めて造ったので色が白かったことから「新島」と名付けました。
第5の島は家が3つ並ぶ様子に似ているところから「三宅島」、第6の島は明神の御蔵ということで「御蔵島」、第7の島ははるか沖合にあるので「沖の島(八丈島)」、第8の島は「小島(八丈小島)」、第9の島は「オウゴ島(青ヶ島)」、第10の島は「十島(利島)」と名付けました。
これは伊豆諸島の噴火造島が神の仕業として驚異の目でみられ、神話が形作られていったと知ることができます。その噴火の中心が三宅島であったことも、先の三島大明神が三宅島に鎮座したことから推察できます。三宅島の「ミ」は尊称の御であり、「ヤケ」は焼けるという意味で、すなわち三宅島は御焼島に他なりません。火山の噴火のことを山焼けということは、江戸時代の諸書にみられます。
三島神は三宅島から加茂郡大社郷である白浜の地(静岡県下田市)に移され、さらに平安時代の末期頃、田方郡の伊豆国府の付近に移されたとみられています。三島神が三宅島から白浜に移った場所は、現在の伊古奈比○命神社(いこなひめのみことじんじゃ、○はくちへんに「羊」)の西北にある「旧白浜村大字長田字神明(かみあけ)」の地であるといわれています。神明は三宅(御焼)と同じように、神焼(かみやけ)、つまり神による噴火の意味に違いないです。
三島市の三島大社の場所は、「和名抄」に賀茂郡三嶋郷が載り、延喜式内社として三嶋神とあります。このことから早くからこの地に神社が祀られており、海の神であり、山の神である大山祇の神が、沖合から伊豆半島を上り、付け根の三島の地に鎮座するというスケールの大きな神話が息づいています。
(Hint-Pot編集部)