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昭和の時代に消えた「直江津」 市町村合併後も復活しなかった悲しい歴史とは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

教えてくれた人:日本地名研究所

直江津港の青空と夕陽【写真:写真AC】
直江津港の青空と夕陽【写真:写真AC】

 40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと、地名の由来を深掘りする「Hint-Pot 地名探検隊」。これまで地名の由来に注目することが多かった本連載ですが、今回は新潟県「ナオエツ」の“消滅”にスポットを当てました。地名がなくなった経緯とその後の変遷とは?

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住居表示で消滅した「直江津」 港湾都市として発展した歴史ある町

 新潟県の「直江津町」は1970年(昭和45年)年に住居表示が実施され、町内のほとんどが中央1~5丁目になりました。しかし住居表示に反対する住民の存在もあり、1982年(昭和57年)には中央の一部が住吉町に変更されています。

 住吉町の命名は町内にある住吉神社にちなんだもので、それ以前からも通称として用いられていたそうです。しかし、歴史ある直江津の地名は復活しませんでした。なぜ、消滅してしまったのでしょう。

 直江津は古代から港津・直江津として関川(荒川)河口に開かれた町で、奈良時代から平安時代の越後国府では有力な比定地です。古くから港湾都市として発展し、中世には東国船と西国船の分岐点として境界的性格を持っていました。

 南北朝期以降は直江津・五智地区に国府・守護所が置かれ、港湾都市に加えて政治都市としても発展していきます。また、上越地域や信州への物資の入り口だったことから、商業都市でもありました。

 直江津という地名の由来は確かなことが記されていません。単調な砂浜海岸が続く海岸線の呼び名からという説や、「ナゴ」の転訛(てんか)ではないかという説もあります。「ナゴ」は海浜で波の穏やかなところという意味です。この付近は日本海の荒波に悩まされる地域でしたが、直江津はそれが比較的穏やかで、北前船が風を避ける港として知られていました。

 五智地区には戦国大名・上杉謙信の居城、春日山城があり、城下の春日町が繁栄したとされています。安土桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間には直江津港近くに福島城ができ、中心も直江津に移りました。さらに、高田城ができると商業機能は高田に集中。直江津は高田城の外港として、米の積み出し港や頚城・信州方面への物資の移入口として重要でした。

 江戸時代に直江津今町を中心に開けた町だった直江津は、1886年(明治19年)に直江津15町が合併して直江津町になりました。1889年(明治22年)には市制・町村制施行により直江津町と周辺の7村が合併して、新たな直江津町が発足することに。1954年(昭和29年)には市制施行により直江津市が誕生。しかし、1971年(昭和46年)に直江津市は高田市と合併して上越市になりました。

 ちなみに、高田市は全国で唯一冠を付けていません。他の高田がつく市に先駆けて高田市としました。後発の市には、大分県の豊後高田市や広島県の安芸高田市、奈良県の大和高田市、岩手県の陸前高田市があります。

 こうした歴史を振り返ると、直江津の代わりに付けられた地名が中央ということに一番の疑問を感じます。現在の上越市の市庁舎は旧高田市木田にあります。もし、市の中心を中央と呼ぶのなら、直江津町は中央とならない場所にあるわけですから。

 全国にある中央地名は中央の意味を逸して、“中央志向”が町の本来の姿とかけ離れていることを残念に思います。

(Hint-Pot編集部)