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日本各地にある「クマノ」の地名 全国へと広がった背景にある信仰の“庶民化”

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

教えてくれた人:日本地名研究所

和歌山県にある「熊野本宮大社」【写真:写真AC】
和歌山県にある「熊野本宮大社」【写真:写真AC】

 和歌山県が誇るユネスコ世界遺産(文化遺産)「紀伊山地の霊場と参詣道」。その登録資産目録を見ると、「熊野三山」や「熊野参詣道(熊野古道)」など、「クマノ」という名称が多くあります。実はこの「クマノ」、地名として日本各地に数百もあることをご存じでしたか? 同県だけに留まらず広まった背景には一体何があったのでしょう。今回の「Hint-Pot 地名探検隊」は、40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと「クマノ」の秘密に迫ります。

 ◇ ◇ ◇

兵乱で力を失った熊野三山 布教転換が「クマノ」を広げるきっかけに

 和歌山県にある「熊野本宮大社」や「熊野参詣道」など、「熊野(クマノ)」と名の付く場所に足を運んだ方は多いでしょう。全国における町村単位での熊野地名は40か所以上。それより小さい単位になると数百にも及ぶと思われます。熊野という地名はなぜここまで広まったのでしょうか。

「熊野詣」という言葉があります。これは、「熊野三山」を構成する3つの神社(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を参詣することです。平安時代に宇多上皇から始まった歴代法皇・上皇・女院の熊野詣、いわゆる「熊野御幸(くまのごこう)」は百余度にわたった他、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど身分や老若男女を問わず多くの人が熊野を訪れました。

 この繁栄は、熊野三山の教義や組織の確立をもたらします。しかし、繁栄を誇った熊野三山も承久の乱(1221年)がきっかけでその力を消失。有力庇護者を失ったことで参詣組織を再整備し、全国の武士・有力農民らへの布教転換を図ることになります。この動きはその後の熊野信仰の広がりにつながっただけでなく、“庶民化”にも大きく寄与しました。

 そんな中、熊野とのパイプ役を務める案内人の「熊野御師(くまのおし)」たちは、宿坊を営んで全国からの参詣者を受け入れる傍ら、一定地域の参詣者と師檀関係を結んでその土地を管掌するようになりました。すると次第に、師檀関係を結んだ土地では熊野神社の神様を勧請(光臨や神託を願う、または分霊を移して祀る)する動きが起こるようになりました。

 こうした勧請の動きでできた神社には、「新宿十二社(じゅうにそう)」(東京都新宿区)などがあります。現在は「新宿十二社 熊野神社」と併記していますが、熊野神社と名乗らなくても熊野信仰は受け継がれていました。

 ちなみに「クマノ」の地名は、奥まったところやその先が見えない霊的な場所に付けられる傾向があると考えられています。また、「熊」には「隈」「球磨」「久間」「久萬」「曲」といった字があてられることも。「熊野川」「球磨川」「千曲川」「阿武隈川」などがその代表例で、大きく蛇行する曲流の川を意味します。

(Hint-Pot編集部)

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