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母として活躍したスカーレットレディ 「馬が合う」アドマイヤジャパンと過ごす穏やかな余生
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競走馬引退後は母として活躍
そんなスカーレットレディも、競走馬時代は厳しい現実に直面しました。1997年11月にデビュー。デビュー戦こそ5着に頑張りましたが、10連敗。連敗中は2着2回、3着4回と歯がゆい結果も。11戦目でようやく初勝利を挙げたのは1998年7月でした。
以降、白星を挙げることはなく、1999年2月のレースで7着だったのを最後に引退しました。通算成績は16戦して1勝。
ところが、繁殖牝馬としてはいきなり活躍馬を送り出しました。2000年に産んだ初子サカラートは、競走馬としてデビューした2002年11月にいきなり白星を挙げます。
とんとん拍子とはいかなくとも、レースを経験するごとに力をつけて、2005年の通算21戦目にはダート(砂)のG3レース「東海ステークス」で初めての重賞制覇を成し遂げます。2009年に引退するまで51戦もして9勝を挙げる息の長い活躍でした。
4頭の活躍馬を輩出 落ち着きが他の馬とは段違い
スカーレットレディは14頭の子を産みました。最も活躍したのは、2002年に産んだ3番子ヴァーミリアンです。通算34戦して15勝。G1級のレースで9勝もしました。アラブ首長国連邦・ドバイで行われる、ダートの世界一を決める国際G1「ドバイワールドカップ」には2007年と2008年の2度挑戦。2007年には4着と頑張りました。
14番目の子を産んだ2016年を最後に母親業も引退。2019年からはこちらのYogiboヴェルサイユリゾートファームで、功労馬として過ごしています。岩崎さんは「優しい性格で、その落ち着きぶりは他の馬と全然違う。人にも優しい。肌ツヤは若々しくて27歳に見えない。特別なルーティンはなく、おとなしすぎて問題を起こすこともまったくない」と目を細めます。個性的な馬が多い中で、落ち着きぶりが光ります。
優しすぎるがゆえに、競走馬としては1勝しかできなかったのかもしれません。でも、優しい性格だからこそ14頭もの子を育て上げ、ヴァーミリアンなどの活躍馬を送り出せたことも間違いありません。
「スカーレット」といえば、映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ。たくましく生き抜く姿はスカーレットレディやその子たちに受け継がれています。
(Hint-Pot編集部)