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北海道が深く関わっている青森の地名 かつて栄華を極めた「トサミナト」の歴史
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教えてくれた人:日本地名研究所
青森県津軽半島北西部にある「十三湊(とさみなと)遺跡」。この地はかつて繁栄を極めた港湾都市でした。十三という漢数字を当て「とさ」としていますが、アイヌ語の「トサム」が由来になっているのではないかという説が。この地名だけではなく、土地の繁栄そのものに北海道が深く関わっているようです。「Hint-Pot 地名探検隊」は今回、そんな「トサミナト」に注目。40年以上も地名研究を続けている日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと、その歴史を探ります。
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中世期に港湾都市として栄えた十三湊 自然条件の変化で衰退の運命に
津軽半島北西部の青森県五所川原市に、「十三湖(じゅうさんこ)」という湖があります。淡水と海水が混じった汽水湖で、大粒で旨味がたっぷり詰まったヤマトシジミの産地として有名です。
また、その西岸に「十三湊遺跡」があるなど、この地はかつて「トサミナト」と呼ばれ隆盛を極めた港湾都市でした。この「トサ」には、アイヌ語の「トサム」が由来になっているのではないかという説があります。「ト」は湖や池などを指し、「サム」は傍ら。つまり、トサは「湖畔」という意味です。
「じゅうさん」と「とさ」という2つの呼び方はどちらも正解。元々「トサ」と呼ばれていたところに、十三という漢字を当てたにすぎません。
鎌倉時代の文書には、十三湊に「トサミナト」とふりがなが振られています。ただ、江戸後期の村高を書き上げた帳簿「天保郷帳」には「ジュウサンムラ」とあり、中世までトサミナトだったのが近世(江戸時代)以降はジュウサンムラと呼ばれるようになったようです。ジュウサンの方が呼びやすかったのかもしれません。一方で、「トサムラ」「トサミナト」の呼び名も現在まで受け継がれています。
前述の通り、そんな十三湊が港湾都市として栄えていたのは13世紀初頭から15世紀半ばまでの中世期。十三湊を交易活動の拠点として、現在の北海道から関西までの交通ルートが活発に機能していました。鎌倉時代に蝦夷関連の諸職を統括したとされる津軽の豪族・安藤氏は、蝦夷と本州の交易に関与して莫大な収益を得たとされています。
しかし、栄華は長く続きませんでした。その一番の原因とみられているのは自然条件の変化。海流の変化によって港湾航路の入り口に土砂が堆積し、十三湊は港湾機能を失ってしまいました。
水底をさらって土砂の除去に努めたもののうまくいかず、港は衰退の一途に。このように十三湊には、栄枯盛衰の歴史が詰まっているのです。
(Hint-Pot編集部)