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長野の寺院「善光寺」はなぜ“全国区”になったのか 各地の地名から感じられる厚い信仰心

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

教えてくれた人:日本地名研究所

「善光寺」は長野県長野市のシンボル的存在【写真:写真AC】
「善光寺」は長野県長野市のシンボル的存在【写真:写真AC】

 創建以来約1400年の歴史を持ち、宗派の別なく誰でも受け入れる庶民の寺として多くの参拝者が訪れる「善光寺(信州善光寺)」。長野県長野市のシンボル的存在ですが、分院だけではなく「善光寺」という地名も全国に広がっています。「Hint-Pot 地名探検隊」は今回、この地名に注目。40年以上も地名研究を続ける日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力により、全国の「善光寺」を深掘りしてみました。

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分院だけでなく全国に広がる「善光寺」の地名

 長野県長野市元善町にある善光寺は、無宗派の単立仏教寺院。八宗兼学(八宗の教義をすべて兼ね収めること)の寺として、訪れる人々に古くから崇められてきました。現在、その護持運営は天台宗と浄土宗の両派によって行われています。

 善光寺の名前は、寺を開山した本田(本多)善光(よしみつ)に由来します。また、善光寺の発祥の地とされているのは、長野県飯田市にある「元善光寺(座光寺)」です。

 善光寺が建立されるまでの歴史を著した「善光寺縁起」によると、本尊の一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)は、日本に仏教が伝えられる中、廃仏派の物部氏によって「難波の堀江(なにわのほりえ)」(現在の大阪府大阪市)に打ち捨てられていました。信濃国国司の従者として奈良の都に上った本田善光はその仏像にめぐり会い、飯田の地に運んで祀り、皇極天皇元年(642年)には現在の地に遷座したのです。

 また、新潟県上越市には「浜善光寺」という通称を持つ「信州善光寺大本願別院不捨山光明院十念寺」があり、信州善光寺と特に結び付きが強いことで知られています。海の近くにあり、上杉謙信が川中島の戦いの際、戦火から守るために善光寺の本尊を移したことから、「浜善光寺」と呼ばれるようになりました。

 善光寺は長野県外でも、分院だけでなく地名としてみられます。山梨県甲府市には「善光寺町」が。また、東京都文京区小石川には「月参堂縁受院善光寺」があり、寺前の道は「善光寺坂」と呼ばれています。

 善光寺坂は東京都台東区谷中にもあり、ここは別名「信濃坂」とも呼ばれています。現在、港区北青山にある「南命山無量寿院善光寺」はかつて谷中にあったとされ、坂に残る地名がその存在を証明しているのです。

 ちなみに、南命山無量寿院善光寺がある港区北青山3丁目は江戸時代に「善光寺門前」と呼ばれた後、1869(明治2)年に「青山善光寺町」となりました。

 こうしてさまざまな場所に善光寺の地名がみられるようになったのは、「善光寺聖(ぜんこうじひじり)」と呼ばれる僧が全国各地を遍歴しながら善光寺信仰を広めたことが理由だと考えられています。

(Hint-Pot編集部)