Hint-Pot | ヒントポット ―くらしがきらめく ヒントのギフト―

ライフスタイル

“好字”を当てて住み良い土地に…地名「アクツ」に込められた先人たちの“熱い思い”

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

教えてくれた人:日本地名研究所

全国には川の影響を受けた地名も(写真はイメージ)【写真:写真AC】
全国には川の影響を受けた地名も(写真はイメージ)【写真:写真AC】

 日本各地で見受けられる地名の中には、自然に由来した“自然地名”がいくつも存在します。「アクツ」もその一つ。「明津」や「阿久津」などと書くこの地名には、自然にまつわる共通点がみられるだけでなく、先人たちによって託された“熱い思い”もあるようです。今回の「Hint-Pot 地名探検隊」は、40年以上も地名研究を続ける日本地名研究所(神奈川県川崎市)の協力のもと、「アクツ」について深掘りします。

 ◇ ◇ ◇

全国のさまざまな「アクツ」 川沿いに多数存在

 全国のさまざまな場所にある「アクツ」の地名。その場所からは、どのような共通点が見えてくるでしょうか。

 神奈川県川崎市高津区の「明津」は、鶴見川の支流である矢上川沿いに位置します。古くは、多摩川の旧流路がこの付近を流れていた関係で、川の影響を常に受けていました。住民は少しでも高いところに家を建て、洪水の被害を軽微にしようと考えていたよう。かつての村境に水塚(洪水が起きた際、浸水を防ぐために屋敷内の一部や農家の周囲に築く土手)があったことがその根拠です。

 栃木県さくら市には「上阿久津」が、同県塩谷郡高根沢町には「上阿久津」と「中阿久津」があり、いずれも鬼怒川沿いの氾濫低地(洪水によって運ばれてきた泥が堆積してできた土地)に位置しています。中世の文書にはこの地域に「下阿久津」もあったと記載されていますが、江戸中期以降の文献には出てきません。

 茨城県東茨城郡城里町には「上圷(かみあくつ)」と「下圷(しもあくつ)」があります。「上圷」は那珂川(なかがわ)の支流である桂川沿いに、「下圷」は那珂川沿いに位置。1635(寛永12)年の「水戸領郷高帳」(水戸藩領地の生産力をまとめた統計書)には「上阿久津村」「下阿久津村」とあり、「圷」と「阿久津」の両方を使い分けていたことが分かります。

 ちなみに、1889(明治22)年には「上圷村」「下圷村」「粟村」の3村が合併して「圷村」に。1955(昭和30)年には「圷村」が「桂村」の一部になり、2005(平成17)年には周辺町村が合併して「城里町」になりました。

川の影響を受けてきた「アクツ」 「アクト」「アケト」も同じ意味

 ここまでの例から、「アクツ」という地名は川の流域にあり、その影響を何らかの形で受けてきた場所であることが分かります。

「アクツ」の歴史を探ると、江戸時代の文献では「悪地」と書かれており、やはり川の浸食作用などに悩まされた土地だったようです。

 一方でそこに住む人々は、土地を耕しながら生活を営む中で「明津」「阿久津」といった“好字”を当てて、村名を維持してきました。特に、「川沿いの低地」といった意味を持つ国字(中国以外で作られた漢字)の「圷」と「阿久津」を併用していた茨城県東茨城郡城里町の例からは、自分たちの土地を住み良いものにしようとする先人たちの思いが感じられます。

 また、「アクト」や「アケト」も「アクツ」と同じ意味の地名です。茨城県古河市の「悪戸新田」など河川改修によりなくなった地名もありますが、青森県弘前市の「悪戸(あくど)」は「悪土」とも書き、改称することなく地名の持つ大切な意味を現代にまで伝えています。

(Hint-Pot編集部)