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絶対的センターが“真ん中の軸”に 俳優・前田敦子は『もっと超越した所へ。』向かう
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2005年に「AKB48」の1期生として鮮烈なデビューを果たし、“絶対的センター”と呼ばれた前田敦子さん。2007年から俳優としての活動も開始し、2012年の卒業後は数多くの出演作で話題を呼んでいます。その演技力と存在感は高い評価を得て、個性的な監督たちとタッグを組んだ作品も多数。そうした高評価の背後には、アイドル時代から送っていた映画ファンとしての“下積み”時代があったようです。そうして深く映画をとらえるようになったのは、前田さんが“本物”だからなのではと語るのは、映画ジャーナリストの関口裕子さん。今回は映画出演最新作『もっと超越した所へ。』を軸に、“俳優・前田敦子”の現在地を解説していただきました。
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話題の戯曲を映画化 物語を牽引する前田敦子
人生にはたまに、「踏んだり蹴ったりだよ」とぼやきたくなる時がある。例えば両手が荷物でふさがっているのに雨が降り始めた時。「ああ、荷物を半分持ってくれる人がいたら」……ふと魔が差して手を差し伸べてくれた人と恋に落ちたりするのはこんな瞬間なのかもしれない。
山岸聖太監督の『もっと超越した所へ。』で前田敦子の演じた真知子は、まさにそんなシチュエーションを再現していた。同作は、4人のクズ男と、彼らを甘やかしてしまう4人の女性の愛と苦悩をリアルかつポジティブに描いた、根本宗子演出・脚本の同名舞台の映画化作品。
根本宗子とは、「Hint-Pot」でも「車いす生活経て演劇の世界へ」と紹介される注目の劇作家だ。『もっと超越した所へ。』は、2018年とコロナ禍に突入した2020年という2つの時空を登場人物が行き来する戯曲に、根本自身が映画用のアレンジを加え、脚本を書き下ろした。
前田が演じる真知子は、登場する4人の女性の1人。順調にキャリアを重ねる、仕事が大好きな衣装デザイナーだ。しっかり者ゆえにか、甘え上手な男にめっぽう弱い。買い物袋が破けて買ってきたものをぶちまけた時も、弱り目に祟り目。偶然通りかかり、荷物を家まで運んでくれた自称バンドマン兼ストリーマーの同級生・怜人(菊池風磨 Sexy Zone)の強引さを拒めず、なし崩しに同棲を始めてしまう。
本作には他に、趣里と千葉雄大、黒川芽以と三浦貴大、伊藤万理華とオカモトレイジ(バンド「OKAMOTO’S」ドラマー)らのカップルが登場し、それぞれの恋愛を展開する。オープニング時にシングルなのは真知子だけ。そんな彼女は、まるで序曲を奏でるように登場する。
そして怜人の出現によって自分の偽らざる気持ちと向き合うようになり、変化していく真知子。変化していく姿が喚起させるのは、交響曲の指揮者。そう、アンサンブルの芝居ではあるが、実質、指揮者のように物語を牽引するのは真知子、いや前田敦子なのだ。
前田の“託される”運命 その始まりは市川準監督作品
根本は自分の劇団を立ち上げる際、「ももいろクローバーZ」や「AKB48」の舞台に足を運び、興行の打ち方を参考にしたという。そうするうちに「握手会に並ぶくらい前田敦子の大ファンになった」という根本は、「満を持してご一緒できた」と語る。前田は「表現者としても人としても、クリエイターをかき立てる人」なのだと。
一方の前田も、根本の作品が「映画化されていないことが不思議でたまらなかった」と言っている。こんなに相思相愛の企画は珍しい。
前田敦子は、いつの間にか多くの演出家を魅了する俳優になっていた。アイドル時代、AKB48の不動のセンターとして一世を風靡した前田のデビューは14歳だ。春休みに親と買い物に出かけ、渋谷でスカウトされたのが12歳の時。当時は学業優先ということで事務所には入らず、2005年に改めて連絡を受けた「AKB48 オープニングメンバーオーディション」に参加。合格して1期生となった。
俳優デビューは市川準監督『あしたの私のつくり方』(2007)。市川監督は、学校で起きているいじめによるサバイバルゲームのような状況を踏まえ、この作品に「孫が物心ついた時に“前向きな気持ちになれた”と言ってもらえるような映画にしたい」と臨んだ。それを表現する俳優として、AKB48の“どセンター”であった前田を起用した。前田の“託される”運命はここから始まったのだろう。