仕事・人生
中高6年間の車いす生活経て演劇の世界へ 注目の劇作家・根本宗子さん「自然な道だった」
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劇作家、演出家、脚本家など多彩な顔を持つ根本宗子さん。現在32歳ですが、演劇の世界で異能を発揮してからすでに久しい印象さえ受けます。しかし実は、中学1年生の時に負った大怪我でフリースタイルスキー・モーグルの道を断念し、演劇にのめり込んだという過去があるそうです。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットライトを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。今回は手がけた舞台「もっと超越した所へ。」の映画版が10月14日から公開され、この映画版でも脚本を担当するなど、新たな挑戦を続ける人気劇作家の横顔に迫ります。
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大怪我がきっかけで中学と高校の6年間は車いす生活に
根本宗子さんが演劇とめぐり会ったきっかけは、中学1年生の時、学校行事の運動競技会で負った大怪我でした。
「私、小学校に入学して最初の登校日から帰宅すると、『勉強は向いていないみたい』と言って母を愕然とさせたんです(笑)。勉強は得意ではなく、スポーツばかりやっている子どもで、中でも友人のご家族と一緒に行ったスキーは上達がとても早く、得意なことができたという感覚で楽しくて熱中しました」
滑ることに夢中になっていたその頃、1998年2月に長野五輪が開催されました。そこでフリースタイルスキー・モーグルの里谷多英選手が、冬季五輪では日本女子選手史上初となる金メダルを獲得。この快挙でモーグルを知った根本さんはその魅力に取りつかれ、のめり込んでいきました。怪我がなければ、競技者として長くモーグルに関わっていた可能性もあったでしょう。
ところが、中学1年生の時に体育祭のリレーで転倒し、股関節を複雑骨折。同時に骨の中の血管が切れたことで、大腿骨頭に血が通わなくなって骨が壊死するという外傷性大腿骨頭(だいたいこっとう)壊死症を患いました。
白銀のゲレンデで躍動していた根本さんは一転、2度の手術とリハビリのため、中学と高校の6年間を車いすで過ごすことに。「トラックに轢かれるような衝撃がなければ折れない箇所なのに、転んだだけで骨折とはめちゃくちゃ運が悪かったのですね」と当時を振り返ります。
ただ、普通の女の子らしい学園生活を送れない寂しさや困難があった一方で、ハンデを負ったこの6年間に、現在の根本さんのルーツが秘められているのです。
「人生で初めて車いすに乗って気がついたのは、他人よりも低い目線で生活しなくてはいけないということ。これはあくまで私の感覚ですけど、それがとても寂しさを倍増させてそれまでとは景色がまったく違って見えてきたので、そういう環境にいたことも物を書く仕事に就こうと思った動機になりましたし、何よりつらい時期を救ってくれたのが演劇だったんです」