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仕事・人生

長友選手や権田選手の元チームメイト 第二の人生は地元長崎で父の会社の2代目に

公開日:  /  更新日:

著者:坂本 俊夫

2010年のロンドン五輪で活躍した当時の徳永悠平さん(右)【写真:Getty Images】
2010年のロンドン五輪で活躍した当時の徳永悠平さん(右)【写真:Getty Images】

 JリーグのFC東京に所属し、守備のユーティリティプレーヤーとして活躍。日本代表としては、国際Aマッチや五輪2大会などに出場した徳永悠平さん。FIFAワールドカップ2022カタール大会で大活躍をみせた長友佑都選手や権田修一選手の元チームメイトでもあります。その後はV・ファーレン長崎を経て、2020年12月に現役を引退。父・弘幸さんが経営する企業に入社しました。結婚し、すでに子どももいた徳永さんですが、どのような思いで新たな人生をスタートさせたのでしょうか。そして現在の毎日は……。

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「あなたが決めたならどこへでもついていくよ」…妻に感謝

 徳永さんは長崎県立国見高校から推薦で早稲田大学に進学しました。その頃からゆくゆくは、父が雲仙市で経営する会社の後継者にという思いが心のどこかにあったそうです。

「といっても、大学時代もプロになってからもサッカーに専念し、家業や経営の勉強などはまったくしていませんでした。ただ2017年にV・ファーレン長崎からオファーがあり、FC東京で引退するか、長崎に移ってから引退するかを考えた時、父の事業を継ぎたいという思いが強くあったのです。長崎ならいろいろな人脈も新しく作れるかもしれないし、それに地元でプレーしたいという気持ちもあって、長崎行きを決断しました」

 当時の徳永さんはすでに結婚していて、子どもは4人。そこで、牧子夫人に自分の気持ちを打ち明けました。

「V・ファーレン長崎で3年間だけプレーしてから引退し、父の会社に入りたいと。すると、『あなたが決めたならどこへでもついていくよ』と言ってくれました。妻は神奈川の出身で、長崎で生きていくというのはハードルが高かったはずですが、僕の決断を尊重してくれたのです。うれしかった。すごく感謝しています」

サッカーユニフォームから作業着へ【写真提供:徳永悠平】
サッカーユニフォームから作業着へ【写真提供:徳永悠平】

 2020年に選手を引退。父が創業した「マルトク」に入社し、現在は副社長です。同社は道路工事に使うコンクリートの側溝や擁壁などの製造販売だけでなく、他社製品の卸しも行っています。主な営業の対象は公共事業を落札したゼネコンなどの業者です。

「何も知らない、白紙の状態からのスタート。営業の人と一緒に現場を回るなどして仕事を覚えていきました。自社の製品のことだけでなく、他社の製品も扱っているので、数が多い。それらを勉強しなければならないし、営業の仕方も覚えなければなりません。営業の人に分からないことは繰り返し教えてもらうなどして身につけていきました。

 大変でしたし、今もまだ大変ですが、将来2代目を継ぐためにやっています。社員がいてくれないと仕事が回りませんし、一方で経営者には、社員やその家族の生活を守る責任がある。その意識が一番大事だと思います。そのためにも仕事できちんと利益を上げなければいけません。そして、将来、親に安心してもらえるような形で受け継ぎたい。そのためには経営者としても成長しなければと思っています」