仕事・人生
158センチ23キロ 拒食症を乗り越えた女性がたどり着いた 食の魅力を伝える仕事
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「旅するおむすび屋」――。そこには、日本人が大好きな“おむすび”一つで人と人との縁を“むすぶ”という思いが込められています。地元の食材でおむすびを作るワークショップはどこへ行っても常に大盛況。会場には、おむすびを頬張る人々の笑顔があふれています。そんな「旅するおむすび屋」として全国各地をめぐっているのが菅本香菜さん。前編は、菅本さんと食を結び付けるきっかけとなった10代の頃に患った拒食症について語っていただきました。
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中学生で体重がたった23キロ 拒食症との壮絶な闘い
「食べる楽しさや大切さを届けていきたい」。そんな思いを胸に「旅するおむすび屋」を始めて約5年。菅本さんはおむすびを通して子どもたちと一緒にワークショップを開催したり、訪れた地域にある食の魅力を発見し全国に発信したりする活動を行っています。今では企業や自治体と一緒に食材のPRに携わることも多く、毎週のように全国各地を精力的に飛び回っています。
そんな菅本さんが食に興味を持ったきっかけ。それは、自身が摂食障害という病と闘った過去にありました。摂食障害の中でも、菅本さんを苦しめた拒食症は体が食事を一切受け付けなくなってしまう病気。中学2年生で発症してからの6年間、食事をほとんど取ることができませんでした。
「一番ひどかった時で体重は23キロでした。ドクターストップで学校に行けない時期もあって。入院していた時に『そのまま行ったら死んじゃうよ?』ってお医者さんから言われました。当時は、いつ死んでもおかしくないんだっていうのをリアルに感じて……。結局、私は高校2年生を2回経験することになるんですが、食べられるようになったのは高校を卒業して大学に入学してからでした」
成長期にもかかわらず、小学校低学年女児の平均体重ほどしかなかった菅本さん。しかし当時は、「もう食べることが怖くなっていて、正常な判断ができない状態になっていた」と語ります。
「恐らくどこかのタイミングで、『これはもうダイエットじゃなくて、食べられなくなっている』って自分でも分かっていたと思います。でも、認めたくなかったんだと思います」
食べられなくなった原因の一つ。それは、小学生の頃に人間関係がうまくいかなくなったことでした。直接、菅本さん自身がいじめを受けていたわけではありませんでしたが、「自分がいじめの標的になったらどうしよう」という不安や、いじめが行われていることを知っていても、怖くていじめている子にいい顔をしてしまう自分自身に対する嫌悪感で、次第に苦しさが増していき自信さえも失いつつありました。
そんな時に菅本さんが頼ったのが、数字でした。「数字だけは裏切らない」と感じていた菅本さんは、「テストの点数だったり、体重だったり、次第に数字に固執していってしまったんです」と振り返ります。
元々細身の体型だった菅本さんですが、中学生になると大人の女性へと体型も変わり始めました。知人からの「少し太ったんじゃない?」という何気ない一言で、スレンダーな体型にも自信を持てなくなり、余計に数字に固執していきました。そして次第に食べることへの恐怖を覚えるようになってしまったといいます。
さらに、当時は「夕方5時以降は食べない」というダイエットが流行していた時期。その時間帯に家にいたのは菅本さんだけだったこともあり、食事を取っていないことに家族が気づくのが遅れたことも拒食症を加速させてしまいました。
複数の要因が重なった結果、思春期のよくあるダイエットが、拒食症という病へと菅本さんを苦しめていくことになりました。