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藤ヶ谷太輔も感服した原田美枝子の“幅” 二面性ある母を演じた『そして僕は途方に暮れる』

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

「肝の据わった演技」で称賛された17歳の原田…実際の現場は?

 原田は、1976年に公開された増村保造監督『大地の子守歌』、長谷川和彦監督の『青春の殺人者』で新人女優賞を総なめにして注目された。当時、17歳だった原田はどちらの作品でもバイオレントなシーンやヌードシーンをこなし、「肝の据わった演技」を見せたと大絶賛された。

 ただし受賞の理由はそこではない。彼女の演技の組み立て方、ちょっとぶっきらぼうで舌たらずな話し方をベースにした演技プランが、少女性を強調し、作品のテーマを支えたからだ。新人賞は、そういう部分への評価で受賞したものだと思っている。

 ただインティマシー・コーディネーター(性的なシーンを撮影する際に監督ら制作側と俳優の間に立ってさまざまな調整を行う専門スタッフ)などいなかった当時、男性スタッフが断然多かった撮影現場では、やりづらいことも多々あったのではないか。原田からこんな話を聞いたことがある。それは原田が娘への愛を感じることができない2世代にわたる母を演じた『愛を乞うひと』(1998)の時のこと。

 母から虐待されて育った娘は、また自分の娘を虐待してしまう。その娘への虐待シーンを撮る際、原田はテストまではスタンド・インを立てることを提案したのだという。「映画のためと分かっていても、嫌な気持ちは残るもの」だからと。

 10歳の娘を演じた牛島ゆうきは、このことを覚えているだろうか。15歳で俳優となった原田は、当時、「嫌だと思っても言えなかったし、周りの誰もフォローしてくれなかった。その時の何ともいえない思いを彼女にさせたくなかった。彼女が映画を嫌いにならないよう、普通に会話ができるようにしておかなければ」と思ったのだそう。

“母であり続ける”ことで物事を変貌させる存在

 この『そして僕は途方に暮れる』で描かれるのは、まさに「嫌なことからは逃げてもいいのではないか」ということなのだと思う。ともすると我々は、つらい、嫌だと気づきながらも、ついついそれを継続してしまいがち。直面する困難を乗り越えれば、さらなるステップアップがあるならば我慢の甲斐もある。でも、我慢しているだけでは何も変わらないのだ。

 プラスを見出せないなら、耐えていても仕方がない。その先に恐怖を感じたとしても自分で断ち切らなければならない。本作はそんなことを描いているのだろう。ただしこの時点の裕一に、相手に伝えるコミュニケーション能力と伝えようという意思に欠けているのが難点なのだが。

(c)2022映画『そして僕は途方に暮れる』製作委員会
(c)2022映画『そして僕は途方に暮れる』製作委員会

 智子は、もう家に誰もいないにもかかわらず、“母”以外のものになろうとはしない。智子もまた逃げているのかもしれないが、彼女の“逃げ”は、抑揚のない息子の人生を変えることには寄与している。

 実家を飛び出そうとする息子に智子が放つ、どこまで意図的か分からないひと言がブラックかつ秀逸だ。「そんなことはすべて神様が許してくれるのよ」。この映画にとっての智子とは、悩む裕一の後ろに映り込む工場の煙突のように、母であり続けることで物事を変貌させる存在なのかもしれない。

 イタリアンレストラン「アッラ・フォンターナ」のオーナーを演じたNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』(2022)は別として、最近の原田は、川村元気監督の『百花』(2022)にしても、本作にしても、受動的に息子を変化させる役割が続いている。そろそろ自身の母を撮ったドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』(2020)の演出で見せたような、原田美枝子の能動性が観たい。多くの観客がそう思っているのではないだろうか。

『そして僕は途方に暮れる』TOHOシネマズ 日比谷ほか 全国ロードショー公開中 配給:ハピネットファントム・スタジオ (c)2022映画『そして僕は途方に暮れる』製作委員会

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。