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一生に対して“果敢”に挑む有村架純 『月の満ち欠け』で彷彿とさせる往年の名俳優とは
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岸善幸監督『前科者』での演技が高く評価され、11月30日に発表された第47回報知映画賞では主演女優賞に輝いた有村架純さん。2023年には「どうする家康」でNHK大河ドラマ初出演を果たすことも決まるなど、まさに順風満帆です。俳優としての見事な成長ぶりは、映画出演最新作『月の満ち欠け』にもたっぷり。心の動きを繊細に表現する演技で、往年の名女性俳優を彷彿とさせているそうです。1980年代に青春を送った世代にとっての「胸の高鳴る記号」がたっぷり散りばめられた本作と、80年代の20代女性を演じた有村さんについて、映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。
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交わるはずのない人生が“瑠璃”という名の女性たちを通じて交錯
記憶力が低下し、思考がまとまらず、言葉が出なかったことがある。今思うとストレスのせいなのだと思うが、当時はそれを認めたくなかった。ストレスごときで思考力が低下する自分が許せなかったのだ。
“言いたいことはあっても言葉にならない”。そんなもどかしさが長く続き、ついに他人の手を借りた。しかしうまく言葉にできない。モゴモゴと状況を説明する姿を爆笑された時は、もうその痛みを抱えたまま、自らの内側に深く沈むしかなかった。
あの時もし、相手に想像力を働かせる気があり、笑い飛ばす以外の方法で寄り添ってくれていたら、あの“船”はきっと、今とは異なる未来へと着岸していたのだろう。
そんなことを思い出したのは、佐藤正午原作、廣木隆一監督の『月の満ち欠け』を観たからだ。
7年前に愛する妻の梢(柴咲コウ)と娘の瑠璃(菊池日菜子)を亡くした男性・小山内(大泉洋)。大学生だった27年前、別の瑠璃(有村架純)と許されざる恋をしていた三角(目黒蓮)。交わるはずのない彼らの人生が、“瑠璃”という名を持つ女性たちを通じて交錯していく奇跡の愛の物語だ。
驚かされる表現の繊細さ 恋に落ちた瞬間を見事に表現した有村
黒いノーカラーのレザージャケット。有村演じる瑠璃のイメージはそれだ。レザージャケット姿の瑠璃からは、「世界を拒絶」とまではいかないが、明らかに距離を取って自分をプロテクトしているように思える。優し気に見える表情も曖昧だ。受け入れているようにも、興味を失っているようにも見える。その演じ方の微妙さに、ふと思い出したのは高峰秀子。成瀬巳喜男監督の名作『乱れる』(1964)で未亡人の礼子を演じた時の高峰だった。
物語の出発点は1980年だ。三角と瑠璃は、ジョン・レノンが自宅アパートメント前で撃たれて亡くなった12月8日に出会う。ジョンの曲が町中に流れる中、2人は高田馬場の街角で偶然出会い、名前も連絡先も交換しないまま別れる。
もう一度会いたいと願う三角の手がかりは、瑠璃がよく名画座の「早稲田松竹」で映画を観ているらしいこと。偶然の再会を期待して、映画館や駅周辺を徘徊し始めた三角の願いは叶い、瑠璃を見つける。
そんな偶然が2回続いた時、神田川沿いの階段に腰をかけ、2人は缶ビールを飲む。三角がカバンから出したビールは攪拌されていただろうし、常温であったろう。キーンと冷えたおいしさではなく、たぶん一口飲むとほの温かさが感じられるビール。これが瑠璃の心を溶かしたのかもしれない。
「時々、簡単な漢字が分からなくなる。こないだ命という漢字が書けなくてびっくりした」と、瑠璃は三角に言う。歳のせいなどではない20代女性のこの発言に、忘れっぽくなり、うまく話せなくなったかつての自分を思い出した。彼女もまたかなりストレスフルな環境に置かれていたのだ。
この後の三角の対応が素晴らしい。たぶん話の内容なんてどうでも良かったのだろう。瑠璃は2人の間にある空間を何かで満たし、不安を取り除きたかったのだ。そして幼い頃のたわいもないことを話し出す。それを三角はからかうでも、過剰肯定するでもなく、ただ受け止める。
瑠璃が心にまとったレザージャケットを脱いだのはこの瞬間だ。この時の瑠璃の話し方がその変化を気づかせる。有村の表現の繊細さに驚きつつ、瑠璃が恋に落ちたと悟った。
ついでに言うと、一方の三角が恋に落ちたのは、それより少し前だろう。たぶん出会ったその日。三角がアルバイトするレコード店前で雨宿りする瑠璃を、連絡先も聞かずに送り出してしまった時、自分の愚かさを心底悔いるように表の壁を叩いたあの瞬間に、彼の恋が始まったのだと思う。