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「立科町」とはどんなところ? 「地域おこし協力隊」の元記者が住んで知った魅力とは
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「地域おこし協力隊」として、2021年に長野県立科町へ移住した芳賀宏さん。千葉県で生まれ育ち、就職後は東京で記者生活を28年、その後はプロ野球を統括する日本野球機構(NPB)の広報担当として2年働きました。芳賀さんは現在、これまでのキャリアをいかし、産業振興担当として立科町をPRする活動を行っています。連載第3回は、芳賀さんが移住した長野県立科町の歴史や地形、魅力をご紹介。東京暮らしではできなかった、新たな習慣を楽しんでいるそうです。
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移住した長野県立科町とはどんなところ?
「立科」と「蓼科」。どちらも読み方は「たてしな」です。さて、違いをご存じですか? 移住するまで、私は考えたことさえありませんでした。
立科町の成り立ちは、1955年に3つの村が併合して「立科村」になったことが始まりです。その後、1958年には町制移行で「立科町」に。当時、当用漢字に「蓼」の字がなかったことから「立」の漢字が当てられたというわけです。
町の特徴といえば、南北に細長いその地形。南側は標高約1500メートルの女神湖、白樺湖を中心とした「山エリア」と呼ばれています。町役場などがある北側の「里エリア」でも、標高は約700メートル。神奈川県の芦ノ湖や箱根の一部と同じような標高ですから、夏でも涼しい理由がわかります。両エリアをつなぐ部分は佐久市と長和町に挟まれ、幅はなんと53.5メートル! “くびれ”とか、「ちぎれそう」なんていわれています。
クーラーいらずの夏と、暖房なしでは過ごせない冬
ここまではよくある観光案内。それでは、55歳の私が実際に暮らしてみて受けた町の印象をご紹介しましょう。
私の暮らす里エリアは、リンゴ畑や水田などのどかな風景が広がっています。以前、「虫や鳥の声がうるさくて眠れず、田舎暮らしを諦めた」という記事を目にしたことがありました。カエルの鳴き声で寝入って、鳥のさえずりで目が覚めるような環境は私にとってはこのうえなく快適なのですが、これを苦痛と感じる方なら確かに無理でしょう。
近年は暑い日も増えたようですが、これまでに夏を2度過ごしてエアコンのスイッチを入れたことはありません。多少の我慢はしても、扇風機で十分に過ごせます。クーラーのないお宅は少なくありませんし、寝苦しい夜も今のところは無縁です。
ただし、夏が涼しいということは冬が厳しい。里エリアでさえマイナス10度を下回る日もあるので、夏にクーラーを使わなかった分だけ暖房器具のお世話になる期間が長いのです。ゴールデンウィークまではこたつやストーブが必要ですし、「お盆を過ぎたら秋の始まり」と地元の方々は言います。それでも、「痛い」といわれていた真冬の寒さは緩和傾向にあるようです。
年間降水量は約1100ミリリットルと少なく、日照時間は約2000時間で晴天率が県内でもトップクラス。昨年は「例外ですよ」というくらい珍しく雪の多い年でしたが、基本的に降雪量は少なく、降ったとしても除雪や融雪剤の散布が早いので、雪に閉ざされて動けなくなるなんてことはありません。