仕事・人生
50代で地方移住 「地域おこし協力隊」の元新聞記者 憧れの生き方を手に入れるまで
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長野県立科町で「地域おこし協力隊」として活動している芳賀宏さん。千葉県で生まれ育ち、就職後は東京で記者生活を28年、その後は広報担当として2年と、慌ただしい生活を送ってきました。「いつかは田舎で暮らしたい」。そんな田舎暮らしへの漠然とした憧れが現実になったのは、2021年でした。現在は、移住した長野県立科町で「地域おこし協力隊」の産業振興担当として、立科町を盛り上げるべく奮闘しています。憧れの田舎でどのような暮らしをしているのか、芳賀さんが「地域おこし協力隊」の活動を通して綴ります。
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「地域おこし協力隊」は地方移住への選択肢のひとつ
田舎暮らしへの憧れ、環境を変え違う人生を歩む――。地方移住に踏み出すきっかけはさまざまでしょう。新型コロナウイルス感染拡大の影響によって移住への関心はより高まり、近年は「仕事として農業に取り組みたい」という方の姿も散見するようになりました。「地域おこし協力隊」も、その選択肢のひとつとして定着し始めています。
地域外の人材による地方の振興や発展を目的に、総務省による制度が始まったのは2009年。初年度の31自治体・89人から、2022年度には1085自治体・6015人にまで広がりました。1年更新で基本の任期は3年、その後の定住者も少なくありません。政府は制度を拡充する方針です。
「地域おこし協力隊」とひと口に言っても活動や活躍の範囲はさまざま。イメージとしては観光地のPRや振興策、農家の後継者としての就農が思い浮かぶでしょうか?
初めての転職、コロナ禍 何かを変えるべく
私が都内の大学を卒業し、産経新聞社に入社したのはバブル経済が崩壊した1991年です。産経新聞、サンケイスポーツ、夕刊フジと社内のあらゆる媒体を渡り歩き、3分の1はオウム真理教事件や警視庁捜査一課などの事件取材、後はプロ野球、サッカー、ラグビーなどスポーツを長く担当してきました。
扱う内容こそ変わりましたが、28年間も記事を書くことだけを生業にしていた人生に転機が訪れたのは2019年、会社が募った早期退職者制度でした。「このままの人生でいいのか?」という思いと、「記者を辞めたら何ができる?」という不安が頭の中を交錯しました。取材して原稿を書くこと以外にスキルがなく、よく「記者はつぶしがきかない」といわれたものですが、それでも「もうひとつの生き方」への欲求が勝りました。
初めての転職に戸惑ったものの、退社翌月にはプロ野球を統括する日本野球機構(NPB)から「うちで働いてみないか」とお声がけをいただきました。実は記者時代の最後の担当がNPB。いわば「川の反対側」に渡ったわけです。仕事は広報。それまで記者として向き合ってきたので、同じ景色を反対から見るのはどんな気持ちだろうという興味もありました。同じプロ野球に携わりながらも、似て非なる仕事と日常に慣れたかなと思ったときに見舞われたのが、コロナの感染拡大でした。
NPBはJリーグとともに「コロナ対策連絡会議」を招集。月に2回、コロナ禍でいかに試合を行うべきか、さらに翌年予定の東京五輪開催の方向性を示すことを目的に議論を重ねました。専門家から最先端の分析を聞き、スポーツ団体として進むべき道を探り、得られた知見を世間に開示するという重要な役割を担っていたと思います。
しかし、一方で煮詰まってしまった感情が心を蝕んでもいました。NPB職員も、在宅勤務の増加が思った以上に精神的に重くのしかかっていたのです。記者の仕事は人と会ってこそ。それは広報も同じです。ところが、日がな一日、自宅でパソコンの前に座っているだけでは「力を発揮できない」と気持ちばかりが焦ります。「もっと気楽に考えたら」とも言われましたが、何かを変えるべきだと気づいたのです。