仕事・人生
外国人旅行者から大人気の日本の料理教室 立ち上げたきっかけとは 和食は「世界一」の自信
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日本の家庭料理はきっと世界一 いつか海外に広めたい
「いつかは海外で、何かビジネスをやりたい」
会社員時代、そんな思いを夫婦で抱いていたという富永さん。大学の薬学部を卒業後は、新卒入社した会社で商品開発を担当していたといいます。その後も転職を繰り返しながら、マーケティング、ブランディング、組織開発、新規事業の立ち上げなどを担当するなかで、やはり一番大事な核は“商品開発”であると感じていたのです。
核となる自身の“商品”を模索するなかで浮かび上がってきたのは、ニュージーランドで食べた家庭料理。そして同時に、「日本の家庭料理は世界一だから、いつかこれを海外に広めていく仕事をしたい」という漠然とした思いでした。
しかし、実際は日々の仕事に追われる毎日。すぐに事業を立ち上げることはできませんでした。さらにその間、妊娠・出産を経験し、実母が他界するなどまったく身動きが取れなかったといいます。気がつけば、ニュージーランド旅行から4年が経っていました。
そんなとき、夫が青森県へ転勤に。当時、子どもは2歳。フルタイムでの仕事を抱えての両立に悩んでいたところ、当時徳島県に住んでいた義母がサポートのために手を挙げてくれたことで、突然の3世代同居がスタート。この義母との共同生活が、「わしょクック」を立ち上げる2つ目のきっかけとなりました。
義母から教わった“田舎のおばあちゃんの味” 外国人の同僚から大好評
義母との同居生活で気づいたのは、日本のごく一般家庭で食べられている和食の価値だったと、富永さんは語ります。
「田舎のおばあちゃんだから、義母が作る料理がめちゃくちゃおいしいんです。『どうやって作ったの?』と聞いても、いつも『適当』って言われるんです。なので、それを私がせっせとメモしてレシピ化していきました。当時、私は外資系企業に勤めていて同僚に外国人がいたので、彼らに家庭料理を振る舞ったら『おいしい!』ってみんなが言ってくれたんです」
14年前のニュージーランド旅行、そして義理の母との同居生活。それぞれの場所で出会った2つの家庭料理は、富永さんの人生における大きなヒット作「わしょクック」が生まれるきっかけとなったのです。
神奈川県生まれ。大学在学中に薬剤師の国家試験に合格。卒業後は、化粧品会社や製薬会社に勤務。マーケティングをはじめ、商品開発、ブランディング、組織開発、新規事業の立ち上げなどに従事。会社員の傍ら、2014年に外国人向け料理教室「わしょクック」を始め、両立していたが、2年後に「わしょクック」に専念すべく会社を退職。2017年には業務拡大を視野に入れ、一般社団法人外国人向け料理教室協会を設立。講師の育成を行うとともに、「わしょクック」のフランチャイズ展開を行っている。今夏、念願叶ってニュージーランドへ移住予定。
(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)