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東京大学の現役学生と“親との関係” 母からかけられた心に残る2つの言葉とは

公開日:  /  更新日:

著者:石川 遼

東京大学工学部物理学科4年生の鈴木潤さん【写真:石川遼】
東京大学工学部物理学科4年生の鈴木潤さん【写真:石川遼】

 東京大学(以下、東大)工学部物理学科の4年生で、ア式蹴球部(体育会サッカー部)にも籍を置く鈴木潤さん。高校から東大に一発合格はできなかったものの、他大学に進学したあとに浪人。再び受験し、念願だった東大への入学を果たしました。現役東大生が実践してきた勉強法やマインドに迫るこの連載。今回は、鈴木潤さんにお話を伺いました。第3回は中学受験、そして大学受験を乗り越えた鈴木さんから見たご両親との関係についてです。

 ◇ ◇ ◇

小学生の頃から得意と苦手科目がはっきり

 鈴木さんは小学校高学年の時点で将来の東大進学を目標にし、中学受験をして中高一貫校の駒場東邦中学校・高等学校に進学しました。

「最初に東大へ行きたいと思ったのは、小学5~6年生の頃です。中学受験で志望校を決めるときから、東大を目指せる中高一貫校に入りたいと思っていました。きっかけは東大に対する漠然とした憧れでしたが、ひとと競争し、切磋琢磨して自分の価値高めていくのは、子どもの頃から好きだったんです」

 理科が得意教科だったこともあり、実験に力を入れていて理科に強い駒場東邦校を選んだそうです。国語も得意だった鈴木さんですが、すべての教科で優秀な成績だったかというとそうではなく、数学と社会は苦手だったといいます。

「理科は好きだから得意という感じでしたけど、小学生のときに通っていた塾の尊敬していた先生が理科担当で、僕はその先生に認めてもらいたい、褒めてもらいたい一心でやっていたように思います。逆に社会の先生とは、なぜか当時の自分はあまり合わなくて……。計算をコツコツやるのが苦手で、算数もあまりできませんでした」

 小学生の頃から、得意教科と苦手教科がはっきりしていた鈴木さん。中学受験を控え、苦手教科を克服する必要がありました。しかし、ご両親から厳しく言われたり、勉強を強いられたりした記憶はほとんどなかったといいます。家庭では、どのような環境で勉強していたのでしょうか。

今も大切に胸の内へしまっている母の言葉

「僕の親は、カードに描いてある図形をブロックで作るパズルや、歴史や国語を学べる漫画を与えてくれて、勉強を身近に感じさせる工夫をしてくれていました。僕はとくに漫画を読むのが好きで、母と一緒に出かけても、いつも持ち歩いて読んでいたくらいです。それ以外のところでは、放任とまではいかないですけど、基本は『あなたの好きにしなさい』というスタンスでした。もちろん、気づかないところでいろいろなサポートをしてくれていたと思いますが、僕の前でそれを見せず、本当に好き勝手やらせてもらっていました」

 ご両親とのほど良い距離感で、自分で考えて選んできた子ども時代。しかし、勉強でつまずいたり、くじけそうになったりすると、すぐに寄り添って支えてくれたそうです。

 鈴木さんには、勉強にまつわる子どもの頃の苦い経験が2つあるといいます。その際に母親からかけられた言葉は、今も胸の内へ大切にしまい、心の支えになっているそうです。ひとつ目は、塾に入ったばかりの頃に励まされた言葉でした。

「小学生で初めて塾に入った頃、自分のあまりのできなさに悔しくなって、塾の授業中に泣いてしまうことがありました。そんなときに母が『そんなに焦らなくていい。これ(受験)だけであなたの人生が評価されるわけじゃないんだから。ゲームのつもりで楽しんでくれたらそれでいいし、嫌だったらやめてもいい。あなたの人生だから自分で決めなさい』と言ってくれました」

 優しく背中を押してもらい、楽しんでやろうと続ける気持ちになったといいます。一方で、同じ「やめる」にしても、1度だけ叱られたことがあると振り返ります。それがふたつめの経験です。

「確か小学4年生の頃です。勉強が嫌になり、もうやめたいと駄々をこねたことがあります。そのときは『うまくいかなくなった途端にすぐにやめてしまっていいの?』と言われました。『うまくいかなくて逃げたら、これからもずっと逃げて回ることになるよ』って。それを聞いて僕は“なにくそ、やってやるよ”って気持ちになったんです(笑)。勉強に関して怒られたのは、それが最初で最後だったと思います」

 同じ「やめる」にしても、途中で投げ出してしまうような後ろ向きな姿勢ではなく、自分なりに納得してから決める──。子どもの頃から続く親御さんとのほど良い関係、ピンポイントでかけられた言葉が鈴木さんを東大へ導く大きな原動力となり、今の学生生活にもいきているようです。

(石川 遼)