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仕事・人生

諦めない心がつかんだ合格 気象予報士試験に8度目で合格できた勉強法

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

気象予報士として九州地方を中心に活動する早田蛍さん【写真提供:早田蛍】
気象予報士として九州地方を中心に活動する早田蛍さん【写真提供:早田蛍】

 近年、台風や局地的大雨による自然災害が増えています。自然の脅威を前に、人間はなす術がないことも多いですが、それでも事前に対策や準備を行い、被害を最小限にとどめることは可能です。空の動きを事前に察知し、天気を予報する気象予報士。自然災害から身を守るため、その的確な予報に注目が集まっています。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。今回登場していただくのは、2016年の熊本地震、2020年の熊本広域大水害など、自然災害が多い熊本県で生まれ育った気象予報士・早田蛍さんです。前編は、気象予報士に合格するまでの奮闘についてお話を伺いました。

 ◇ ◇ ◇

大学受験に失敗 一度は諦めた気象予報士の夢

 地元・熊本県で気象予報士として活動を続けている早田蛍さん。初めて天気に興味を持ったのは、高校1年生のときでした。学校で天気の授業があり、話を聞いて純粋に「おもしろいな」と思ったそう。そこで、先生に「気象予報士になりたい」と伝えたところ、「君には難しいと思うよ。そもそも大学進学さえ厳しいかもしれない」と返ってきました。学校の成績が良くなかったという早田さんは、実際に大学受験に失敗。気象予報士になるという夢も一度は諦めてしまいます。

 高校卒業後は、フリーターとして結婚式場で働くことになった早田さんですが「仕事にやりがいを感じてはいたけれど、なんかちょっと違うな」と感じていたといいます。「一生やりたい仕事ってなんだろう?」。そのようなことを考えていたときに浮かんだのは、一度諦めた気象予報士でした。

「高校の先生に会いに行って相談したり、どうやってなるのかを具体的に調べてみたりするうちに、大学に進学して、通いながら資格試験の勉強をしたらいいんじゃないかというアドバイスをもらったんです」

 母親のすすめもあり、福岡大学経済学部を受験し、見事合格。通学しながら、気象予報士になるための勉強を始めました。

「入学後、構内を散策していたときに、気象予報士の夜間講座を始めるという張り紙をたまたま発見したんです。これはもう運命だと思って、さっそく応募しました。それから、昼間は大学の勉強をして、夜は気象予報士の勉強をする生活が始まりました」

地学でまさかの赤点 実体験につなげることで理解

 高校生のとき、早田さんは地学の授業を選択していたそう。その理由は、選択科目だった化学と生物で赤点を取ったからでした。

「恥ずかしい話なんですが、点数がひどすぎたんです。そうしたら、友達から『地学はどんなに勉強しなくても赤点は取らないよ』と言われて。それで、内容も知らずに2年生から地学へ移りました。そうしたら最初のテストが赤点だったんです。先生に呼び出されて、『なんでお前は地学で赤点なんだ?』と。それからは教壇の前の席に座らされて、私と、もうひとり赤点だった子のふたりがわかるように授業が進むようになりました」

 それでも授業が理解できなかったという早田さん。「確か……」と遠い記憶をたどりながら、ちょうどその頃の授業が、大気の安定や不安定を説明する内容だったと教えてくれました。

「煙突の煙を例に出して、朝は放射冷却が起きて大気が安定しているので、風が吹けば風になびいて真横に煙が出る。太陽が出てくると、日差しで地表の空気は温められ、温められた空気が上昇するので対流が起きて(大気が不安定になる)、煙は上に上がっていく。そういう説明だったと思いますが、それでピンときたんです。『あ、わかった!』って」

 早田さんが生まれた八代市には、日本を代表する製紙会社があり、大きな煙突が象徴的だといいます。住んでいた町から市中に向かう途中、その煙突を毎日見ていたそうで、先生の説明を聞いたときに「そういえば、煙突から出る煙の方向が朝と昼で違っていた。そういうことか、おもしろい!」と、すべてがつながったのだそう。

 教科書で学ぶ知識と実体験がつながったときこそ、理解しやすくなるものです。そしてもうひとつ、災害が多い地域で育ったことも気象への関心を強めました。

「私が生まれ育った地域は災害が日常で、それこそ『道路が浸からんと梅雨は明けん』という言葉があるぐらいでした。道路は水に浸かるし、山はすぐに崩れる。国道も通行止めになるし、道路は陥没すらする。毎年、何かしらの災害が起こるような地域だったのに、地域の人たちは災害に慣れているような感じでした」

 自宅のテレビではいつも天気予報が流れており、天気図を見るたびに「あれを見て、大雨が降るとかわかるようにならないかな」と、漠然と考えるようになっていきました。

 そこから気象予報士の勉強に取り組むまで、4~5年の歳月がかかっています。それは、「やればできるって思っていなくて。自分は勉強が足りないから、頭が悪いから無理だ」と自分で決めつけていたことが原因だったと振り返ります。