どうぶつ
「もう少し一緒にいて…」 虹の橋を渡った1歳の愛猫へ 日本人記者が送るメッセージ
公開日: / 更新日:
退院した翌朝に嘔吐 再び病院へ駆け込むも…
ようやく元の生活に戻れる。投薬治療は大変だけど、サツキと一緒に頑張ろう……そう思っていた矢先、サツキは退院当日の夜から再びつらそうな表情を浮かべて、床に突っ伏してしまいました。
病院から指示された投薬量を守り、食事と水を与えても症状の改善はみられず。翌日の朝、サツキが二度吐いて、か細い声で悲鳴のような鳴き声を上げたことで、僕は再び彼女を近所の動物病院へ連れて行きました。しかし、折しもこの日はドイツ国内全土の祝日で、動物病院も休診でした。
それでも救急対応で受付の方に診察をお願いしましたが、やはり当院では対処できないと断られ、大学病院に連絡するように指示されました。しかし、その大学病院へも電話とメールで複数回問い合わせをしましたが応答はなし。僕は病魔に苦しむサツキを自宅に連れて帰り、彼女に寄り添って看病することしかできませんでした。
息を引き取ったサツキ 友人や病院へ感謝
まだ日が高いドイツの初夏の夕方、サツキは寝室のベッドの下でふらふらになりながらも立ち上がり、水を飲んだ直後に倒れ込むように突っ伏して僕の前で息を引き取りました。傍らには、普段は天真爛漫でおしゃべり好きなもう一匹の愛猫「心(ココロ)」が心配そうに、静かに佇んでいました。
動物病院の方々にはできる限りの対応をしていただいたと思っています。近所の動物病院は大学病院への転院をすすめてくれましたし、大学病院は入院中にドイツ語だけでなく英語でも症状についての詳しい説明をメールで送ってくれました。サツキの病気の詳細や退院後の治療方法も丁寧なレポートで書面に記してくださり、とても心強かったです。
サツキが亡くなった直後、茫然自失した僕を心配した2人の友人が自宅に来て、部屋の掃除やサツキの葬儀の手配などをしてくれました。友人がいなかったら、僕はドイツの地で、ココロとともに心細さに打ちひしがれていたでしょう。
サツキとココロは心の支え これからもずっと一緒
先日、無事にサツキの火葬を終えることができました。遺骨は骨壷に入れられて、自宅へ。これでやっと、サツキに安心して過ごしてもらうことができそうです。
ドイツ南部の農家さんから、ココロと一緒に僕のところに来てくれたサツキには本当に感謝しています。異国の地で、ひとりで暮らしていた僕にとって、甘えん坊のココロとしっかり者のサツキは心の支えでした。正真正銘の“家族”。そう思うからこそ、この世に生を受けてからわずか1年と1か月で虹の橋を渡ってしまったサツキとの突然の別れに、胸が引き裂かれそうな思いでいます。
今後も僕は、ココロと一緒にドイツ生活を続け、その様子をお伝えしていきたいと思っています。そのなかで、サツキとの思い出話も記すかもしれません。ともに楽しく、幸せな日々を過ごしたことを回顧することこそが、サツキへの供養になると思っています。
最後に、サツキへのメッセージをここに綴ります。
サツキへ。人見知りの君が、知らない人だらけの場所でつらい検査や投薬治療を受けて、1週間もの長い入院生活をよく頑張ったね。退院して自宅に戻ってから、何度もお水を飲んで、ごはんを食べて、それを全部吐き出しても、それでも懸命に生きようとした姿を、僕は決して忘れません。
「まだ行かないで。もう少し一緒にいて」と、何度もお願いしたけれど、痛くてつらそうな姿を見ていたら、早くこの苦しみから解放されてほしいとも思いました。今はお空の上で、穏やかに過ごせているのかな。12年前に先に旅立った、初代愛猫の「アイコ」とも会えているといいな。僕がそっちへ行ったときは、いつもと同じように優しいまなざしで僕を迎えに来てください。そして今度こそ、穏やかに、いつまでも一緒に暮らそうね。これからもずっと、僕とココロは君のそばにいるよ。
(島崎 英純)
島崎 英純(しまざき・ひでずみ)
1970年生まれ。2001年7月から2006年7月までサッカー専門誌「週刊サッカーダイジェスト」(日本スポーツ企画出版社刊)編集部に勤務し、Jリーグ「浦和レッドダイヤモンズ」を5年間担当。2006年8月にフリーライターとして独立。2018年3月からはドイツに拠点を移してヨーロッパのサッカーシーンを中心に取材活動を展開。子どもの頃は家庭で動物とふれあう環境がなかったが、三十路を越えた時期に突如1匹の猫と出会って大の動物好きに。ちなみに犬も大好きで、ドイツの公共交通機関やカフェ、レストランで犬とともに行動する方々の姿を見て感銘を受け、犬との共生も夢見ている。