仕事・人生
25歳で乳がんと診断 乳房再建術や卵子凍結は「しない」 元SKE48矢方美紀さんが語る今 闘い生きる力とは
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妊娠・出産を考えて卵子凍結するかどうか…次々とふりかかる大きな選択がしんどかった
ホルモン療法は10年続けると言われています。1年過ぎたのであと9年。治療を終える頃には30代半ばです。妊娠・出産を考えて卵子凍結をする人もいますが、私は「しない」という選択をしました。30代半ばで妊娠・出産する人は大勢いますし、卵子凍結は経済的にも負担だからです。
今、振り返ると、こうした大きい選択を次々としなければいけないことが、私には一番しんどかったなと思います。ひとつ決めても、また次、また次、と決めなければならないことが多く、いったん決めても、後でまた「これで良かったのかな」と、たくさん悩んでしまうんです。
でも、家族には相談しませんでした。祖父や父も、以前、重病を抱えながらも言い訳せずにお仕事とかをしていたんですね。そういう姿を見ていたし、母も心の中では私のことで悩んでくれているとわかっていたので、「大丈夫だよ」と言っていました。
相談はズバズバ言ってくれる周りの友人や知人にしていましたね。いろんな人と話して意見を聞けたことは、大きな助けになりました。アピアランスのことで悩んでいたときも、NPO法人ふくりび(全国福祉理美容師養成協会)のサポートに支えられました。アピアランスで本来の自分らしさを取り戻すことができたら、自信にもつながりました。
人生は1回きり 「暗い思いで私の人生をいっぱいにしたくない」 声優の夢への強い思い
人に恵まれたことのほかに、「夢」があったことも大きかったと思います。私はデビュー前から声優になるのが一番の夢で、アイドル時代に声優の体験を少しやらせてもらったことがあって、「やっぱり声の仕事で輝きたい!」と思いました。アイドルを7年半やらせてもらったので、いよいよ本来の夢である声優の道に向かおうと思って、24歳でSKE48を卒業しました。
病気がわかったのは、アニメや声優に力を入れているという事務所に入ってすぐのこと。せっかくこれからはアニメメインで活動できるかもしれない、というときだったので悔しくて、夢をあきらめたくない、という気持ちが強かったんです。病気に立ち向かえた のは、夢をかなえるには治療もちゃんとしなくてはいけない、悩んでいる時間はない、と気持ちを切り替えられたからです。
人生は1回きり。暗い思いで私の人生をいっぱいにしたくない。がんを公表したことで、同じ病をもつ友達が増えたり、学んだこと、成長できたことがたくさんありました。これからは声優としてもたくさんお仕事をして、また、今日のように私の体験をお話して、支えてくれたみなさんにお返しをしていきたいと思っています。
1992年、大分県生まれ。17歳で名古屋を拠点に活動するアイドルグループ・SKE48の第3期メンバーオーディションに合格しデビュー。2017年、グループ卒業。翌18年1月、乳がんの告知を受けたが、治療を受けながら芸能活動を続けている。2020年、声優デビュー予定。
(中野 裕子)