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心が調わないときこそのお写経のすすめ 自分を客観的に見つめるお写経で得るものとは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

お写経とは“経”を“写す”こと(写真はイメージ)【写真:写真AC】
お写経とは“経”を“写す”こと(写真はイメージ)【写真:写真AC】

「般若心経」などの仏教の経典を筆で一字ずつ書き写していく写経。経験者からは「ひとつの作業に集中することで無になれる」「心が洗われる気がする」といった声も聞かれます。近年は、コロナ禍の行動制限による新たなストレスや心労も多く、かつては祖父母や親世代に愛好者の多かった写経が、若い世代にも親しまれるように。そんななか、他寺社に先駆け、1968(昭和43)年から現代の写経の仕組みを作り、世に広めたといわれるのが奈良薬師寺。東京別院の松久保伽秀さんに話を伺いました。

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毎日、数十人がお写経に訪れる薬師寺東京別院

 JR山手線の五反田駅に近い都心部にありながら、静けさが漂う薬師寺東京別院の本堂兼お写経道場で、ご本尊である木像の薬師如来に見守られながら般若心経と向き合う時間は、とても贅沢に感じられるほどです。

「『写経』『東京』で検索すると最初に出てくると思います」というほど、薬師寺東京別院はお写経の場として知られています。薬師寺東京別院は檀家や組織を持たない、1300年の歴史を持つ奈良薬師寺の東京別院です。

 9月上旬、薬師寺東京別院を訪れると、常に10人ほどが入れ替わりながら静寂のなかでお写経を行っていました。平日の昼間ということもあり、この日は20代から50代くらいの女性が多く、50代や60代くらいの男性数人も慣れた様子で筆を走らせていました。

「薬師寺東京別院では毎日朝9時半から夕方5時まで、いつでも自由に本堂でお写経をしていただけます。種類としては『般若心経』を選ばれる方がほとんどですが、文字数にして270文字ですので、1時間から1時間半を目安にされると良いかと思います。また3巻目(3枚目)からは『集印帳』を発行させていただき、納経印を押させていただいております」

 薬師寺東京別院では、納めたお写経の数が1万巻を超えるほど通い続けている熱心な方から「興味があった」「来てみたかった」という初心者まで、休日の多い日では100人から200人もの人がお写経に訪れるといいます。

 お写経経験者の感想として「頭がすっきりする」「心のモヤモヤが晴れた」などの声がありますが、そもそもお写経とはなんなのでしょうか。

お写経の起源は経典の教えを広めるための書き写し

 日本でのお写経の起源は、仏教が入ってきた奈良時代にまでさかのぼります。

「当たり前のことですが、奈良時代には印刷の技術がなかったので、中国から入ってきた仏教の教えが記載されている経典(書物)はオリジナルの1冊しかありませんでした。それを、地方などの離れた場所にいる人を含め多くの人に知ってもらうためには、複製して配布する必要があります。そこで、1冊しかない経典の書物を書き写したのが始まりです。

 現代とは異なり、当時の識字率は低かったため、文字を読み書きできる人は限られています。そこで、お写経をする生徒という意味の『写経生』と呼ばれる能力の高い人たちを一堂に集めて、経典を書き写していました。そうして、元はオリジナル1冊のみだったのが、経典は複製され、日本人の識字率が高まった江戸時代には一気に庶民の間にも広がっていったようです」

薬師寺東京別院の1階にある高田好胤さんの像【写真:Hint-Pot編集部】
薬師寺東京別院の1階にある高田好胤さんの像【写真:Hint-Pot編集部】

 そして、現在では多くの寺社で行われている、写経納経の際に納経料を納めるという現在のお写経のスタイルを作り、全国に広めたのが、薬師寺元管主の高田好胤さんだといいます。

「寺院というのは、建物の修復などを行う際、檀家さんや関連組織に修復費を負担していただくのが一般的だと思いますが、薬師寺は檀家や組織を持たないので、戦乱や自然災害など1300年の歴史のなかで貴重な建物や壁が崩れたり壊れたりしても、修復することが難しかったんです。そこで元管主の高田好胤が、お写経をしていただき、それを納める際に納経料を納めていただくことで、そのお金を修復費に充てるという現在のお写経の形式を作り、広めてきました」

 ただし、納経料をもらうためというよりも「仏教の教えに従って、『自分の心を見つめ直したことがありますか?』とみなさんに問いかけ、その手段としてお写経を使っていただけたら」と考えています。