仕事・人生
「何度でも『ありがとう』と言いたい」 自身最高成績を収めたプロ野球選手 母と妻へ感謝の思い
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苦しいときに寄り添い支えてくれる家族や友人、迷ったときに進むべき道を指し示してくれた恩人など、感謝してもしきれない人は誰にでもいることでしょう。先が約束されていないプロ野球の世界で今年、自身最高の成績を収めた選手がいます。それは、今シーズンがプロ7年目だった埼玉西武ライオンズの田村伊知郎選手。高校1年生から甲子園(阪神甲子園球場)で注目を浴びながら、大学、プロ入り後は何度も試練にさらされ、苦悩した時期もありました。しかし、諦めることなく投げ続けてきたのは「支えてくれた人たちを喜ばせたいから」。田村選手に今の思いをお聞きしました。
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鳴り物入りで入っても順風満帆とはいかない厳しいプロの世界
僕が今年登板したのは24試合でしたが、2勝1敗6ホールド1セーブという成績をあげることができました。とくに終盤は、大事な場面や勝利に必要なポジションで投げさせてもらい、責任の重さもありましたがしびれるような思いを感じました。そして、プロ野球の選手としてのやりがいを見出せた気がします。
もちろん、松井稼頭央監督が起用してくれたおかげです。打たれた翌日でも、監督が代えることなく投げさせてくれたことは本当に意気に感じましたし、自尊心を高めてくれました。来年も100%の準備をして、100%の状態でマウンドに上がって腕を振りたいと思っています。充実したシーズンを送ることができましたが、振り返れば多くの方たちの支えがあったからこそ、今季の成績があります。
僕は報徳学園高校(兵庫県)1年生の夏に甲子園へ出場して「スーパー1年生」と注目していただきました。それも、中学校の担任で野球部の顧問だった大田史博先生のおかげです。先生は進路相談だけでなく、部活の練習見学へ一緒に行ってくれるなど、「神戸の山奥の何もない中学生」だった僕を導いてくれたのです。
また、報徳学園時代の永田裕司監督(現日本大学三島高校)にも深く感謝しています。甲子園を経験させてくださったことは、その後の野球人生にとって一番影響を受けたことですし、大きなターニングポイントになりました。
ただ、立教大学を経てプロ野球選手になることができましたが、必ずしも順風満帆だったわけではありません。「スーパー1年生」と評価していただいたことで期待されたものの、高校に進んでからは、自分の中ではずっと下降線をたどっているような感覚でした。
それは大学に入ってからも同様でした。周囲の期待とは裏腹に、自分としては結果が出せない苦しみを感じていたのです。「結果を出さなきゃいけない」と目の前の結果を追いすぎるあまり自分を確立できず、けがなどもあって苦しかったです。
苦しかったときに救ってくれた母の存在
そんなとき、自分を救ってくれたのは母(圭子さん)でした。高校時代もそうですが、苦しいタイミングでよく話を聞いてもらっていました。大学生のときには親元を離れていたので、電話でよく話をしました。
僕は、「ただただ、苦しい」ということを言っているだけですが、母は同じテンションでじっと聞いてくれるのです。「そうだね、わかる、わかる」という感じで共感してくれる。多分、感性が似ているのだと思います。そして、こちらがひと通り話を終えると、なんとなく落ち着いて「自分がやるしかないじゃないか。頑張らないといけないな」という気分になってくるのです。
母だけでなく、祖母(奈京子さん/なりこさん)にも小さい頃から話を聞いてもらって、受け止めてもらっていたように思います。
プロ入りしてからは、同期の選手たちが活躍しているのに、自分はなかなか思うようにできない歯がゆさはありました。3年目くらいまでは本当に苦しくて、ファーム(二軍)の試合で大量失点したり、満塁の場面で登板したときにランナーを全部返されてしまったり……。「これはもう、ダメなのかもしれない」と考えたことがあったのも確かです。
それでも、「もっとうまくなりたい」「いつか活躍するために、今できることを積み重ねていこう」と強い気持ちで奮い立たせてきました。