Hint-Pot | ヒントポット ―くらしがきらめく ヒントのギフト―

ライフスタイル

七五三の縁起物 千歳飴の由来や袋の意匠に込められた切なる願いとは

公開日:  /  更新日:

著者:鶴丸 和子

七五三の千歳飴(写真はイメージ)【写真:写真AC】
七五三の千歳飴(写真はイメージ)【写真:写真AC】

 七五三は、11月15日に子どもの健やかな成長を願って、晴れ着姿で神社にお参りをする晩秋の行事です。一般的には3歳の女の子(地域によっては男の子も)、5歳の男の子、7歳の女の子がお祝いします。この七五三のお祝いに欠かせないのが千歳飴です。日本古来の伝承や風習、先人の知恵など諸説に着目するこの連載。七五三や千歳飴にまつわる縁起話について紹介しましょう。

 ◇ ◇ ◇

七五三とは 千歳飴の発祥はさまざま

 七五三とは、3、5、7歳の節目の年に子どもが無事成長したことを感謝し、今後も健やかに育つよう願いを込めるお祝いです。公家や武家で行われていた髪を伸ばし始める「髪置き」、初めて袴をつける「袴着」、結び帯を使い始める「帯解き」といった風習が由来しています。

 昔は医療が整っていなかったため乳幼児の死亡率が高く、子どもの健やかな成長への願いは切実でした。子どもの成長を祝う儀式は各地にありましたが、ひとつの行事となったのは江戸時代。11月15日の日付は、江戸幕府5代将軍の徳川綱吉が、長男の成長儀式をこの日に行ったことに関連しているといわれています。明治になると全国的に広がり、現在のような神社に参拝する七五三のお祝いが定着しました。

 そのお祝いに欠かせないのが、千歳飴です。飴は、伸ばすとどこまでも伸びることから「長寿」を連想させる縁起物。名の千歳には「長寿」や「めでたい」といった意味があります。長く伸ばして作る紅白の千歳飴は、七五三を祝ううえで必需品となりました。

 千歳飴の発祥については、主に3つの説があります。江戸時代の浅草寺の境内で、大阪から来た商人が「千歳飴(せんざいあめ)」として売り始めたのが流行した説、江戸の飴売りが紅白の飴を「千年飴」として売り出した説、さらには神田明神の社頭で売られていた「祝い飴」を始まりとする説です。千歳飴の起源はさまざまですが、子どもの健康や長寿に願いを込めたものであることに違いはありません。

袋に描かれている図柄も縁起の良いもの

鶴亀や松竹梅など縁起の良い図柄(写真はイメージ)【写真:写真AC】
鶴亀や松竹梅など縁起の良い図柄(写真はイメージ)【写真:写真AC】

 千歳飴は、年の数だけ袋に入れると良いといわれていて、伝統的な袋には、鶴と亀、松竹梅などが描かれています。これらは、長寿や慶事にまつわる縁起の良い物を意匠としたもの。その意味は次の通りです。

○鶴と亀
「鶴は千年、亀は万年」といわれるように、長寿の象徴。古くから幸運をもたらす生き物として親しまれています。

○松竹梅
 厳しい環境でも立派に生える植物ということから、3つまとめて縁起の良いものの象徴とされてきました。松は冬でも青い葉を茂らせて育つことから「長寿」、竹は折れにくく成長が早いことから「生命力、成長」、梅は老木でも早春になるとどの花よりも早く花を咲かせることから「気高さ、長寿」を意味します。

 千歳飴は、長くて一本丸ごとでは食べにくいのですが、「長さに意味があるので食べるときに折ってはいけない」という説も。しかし、食べ方に明確な決まりはなく、食べやすく切って、近所に縁起物としてお裾分けすることもあったようです。「お福分け」として、七五三の内祝に千歳飴を贈る地方もあります。江戸時代から今も受け継がれている伝統を大切にしたいですね。

【参考】
「暮らしの伝承」蒲田春樹著(朱鷺書房刊)
「眠れなくなるほど面白い 図解 日本のしきたり」千葉公慈監修(日本文芸社刊)

(鶴丸 和子)

鶴丸 和子(つるまる・かずこ)

和文化・暦研究家。留学先の英国で、社会言語・文化学を学んだのをきっかけに“逆輸入”で日本文化の豊かさを再認識。習わしや食事、季節に寄り添う心、言葉の奥ゆかしさなど和の文化に詰まった古の知恵を、今の暮らしに取り入れる秘訣を発信。
インスタグラム:tsurumarukazu